バレンタインデーのお返しは(3)
その年の5の2は、新型コロナウイルスの影響を受ける日常の中で、
学校生活も大きく制限、制約を被る毎日だった。
4月は始業式だけ来て、そこから2か月は休校措置。
その後再開するも、まだ感染者が出ているからと、
ひと月は、半分の人数ごとの分散登校。
ほぼ一学期は何もできない中で始まった学校生活。
子ども達は、教室の出入りにも約束事を設けられ、
日に何度も手洗いと消毒をし、若干でも熱が高ければ帰宅、
全員がマスクをすることを義務付けられてでもいるような状態で、
無くなった一学期の分、夏休みは10日しかなく、
それでも子ども達は、毎日自分たちで楽しみを、繋がりを見つけて、
逞しく生き、成長する姿を見せてくれていた。
そんな年の2月、休み時間にバレンタインデーの話題になった。
どこどこで放課後待ち合わせて、友チョコを交換しようとか、
その時に○○君にもあげるから来るんよ、とか。
楽しそうに話が盛り上がってた。そんな中で話の輪の中の一人が、
「先生は、子どもからバレンタインもらったことあるんですか?」
と質問が飛んでくる。
「あるよー。ととろん先生はお返しがもう大人気だったから、みんなお返しめあてでくれていたねぇ。」
「えぇー、お返しなんなんですか?」
「手作りチーズケーキさ。めちゃくちゃ美味しいよ。」
「え、じゃあ、今年先生に上げたらそのケーキ作ってくれるん?」
「そりゃもちろん。先生のはいつもそれだからね♪」
「じゃあ、先生に持ってきてあげるよ。」
「放課後になぁ。学校の時間の間に出てきた分は、頂かないので。」
「わかってるよー。」
と、そんなやり取りをしている中で、卵アレルギーのⅠさんが、
ちょっと寂しそうに、「先生、それは卵入ってますよね・・・。」
と尋ねてきたので、「そうだね、卵は使うねぇ。」
と返したが、やはりこんな年のバレンタインデーくらい、
悲しい顔をする子は、一人たりとも出したくない。
「うん、Ⅰさんが食べれるように、卵無しで作れるか研究してみるよ、なので楽しみにしておいて。」
と言うと、Ⅰさんも嬉しそうに「はい!」と返事をくれたのだった。
卵無しチーズケーキ、小麦粉使わずチーズケーキについては、
実はいくつか検討していて。小麦粉の代わりに米粉をつかってみるとか、
卵の代わりに、ホイップクリームを濃厚なものにしてみるとか、
色々と研究はしていたので、その成果を発揮するときだと思った。
今回の代替え食材は「豆乳」。卵のタンパク成分の代替に、
豆乳の大豆成分で行けるのではないかと考えた。
結果は思っていたよりもずっと良い結果で、通常のチーズケーキよりも、
チーズ種が、凝固しづらい面はあるものの、
ばっちり渡せるクオリティにはもってこれた。
そして当日。放課後になると子ども達からの呼び出しが来る。
職員室まで入ることができないので、こちらから外に出て、
紅葉がかった桜の木の下で、お菓子とケーキの交換をする。
事前に予告されていた3人の子と交換していると、
放課後学校に遊びに来ていた、別の子が、小一時間して3人で訪ねてきた。
「ととろん先生いますか!?」
「はい、いるよー。今外出るね。」
事前に約束はしていなかった子達だったが、
近くのスーパーで、ケーキやお菓子を選んで持ってきてくれたらしい。
「先生のケーキさ、食べてみたくなったけん。はい、これ。」
グイッと差し出すビニール袋を受け取り、お返しのケーキを渡していくと、
Nさん、Sさん、Yくん?!
見ると女子二人と一緒に、明るさ一番のY君もお菓子を持ってきている。
「Y君もくれるの?ありがとう。」
というと、
「だって、ととろん先生のケーキ、Hさんの見たら、俺も食べてみたくなったもん。先生、ケーキください。」
にこッと笑顔で両手を出す。
「男子で、先生のケーキを食べた、ととろん学級の教え子たちは、歴代の中でも第1号だから、ぜひ味わってくれたまえ。」
というとY君、喜ばせてよかったと思わせる、嬉しさいっぱいの小躍りで、
「やったぁ。ととろん先生のケーキゲットだ。」
と言いながら、嬉しそうに、家に帰って行った。
そしてこのY君、翌年僕が不登校先生になってからの今年度も、
「家族で、日帰りの旅行に行ったお土産です。」と、
不意に、贈り物と手紙を贈ってくれるなど、
僕に元気を贈り続けてくれたのだった。