ただ、やれる限りの精いっぱいで向き合っていこう~仲良しさんクラスプロローグ(2)~
仲良しさんクラス1組の8人の新六年生。
この子達は、「自閉症・情緒的発達障碍」の特徴を持っている。
8人それぞれが、過敏なところや、人一倍慎重なところ、
自分の感情を上手に外に出すことが難しい時があるなど、
それぞれに個性を持っている。
その彼らのクラスは、僕が6の1を受け持っているときの3学期に、
担任が病休に入り、子ども達はその不安でだいぶ荒れてしまっていた。
そこそこの規模の大きさの学校だったので、
担任外の先生が6・7人(管理職含めて)いたのだが、
その6・7人が、8人(不登校の子が1人いたの路で実質7人)の子達に、
毎日てんやわんやさせられていたという話は、
職員室でも毎日耳に入ってきていた。
環境の変化に過敏で、一番苦しかったのは子どもたち。
でもその対応が分からなくて周りの大人たちも疲弊しきってしまう。
そんな状況で終えたのが、仲良しさんクラス1組の今年度だったのだ。
講師は、基本的に正規教員がやりたがらない仕事に飛び込まされる。
一般的な社会とは真逆の構図がこの現場にはある。
もちろんすべてとは言わない。が、僕の働いてきた現場では、
そんな仕事の割り当てが多かった。今回もおそらく校長先生は、
引き受け手を見つけるおが難しい、そんな思いもあったに違いない。
だがもちろん、僕はやりたがらないなんてことは全く無かった。
来年度も子ども達を受け持たせてもらえる。
その有難さは、嬉しさは、この仕事をする上で何物にも替え難い。
不登校先生になって、今療養中の身なので、信じられないかもしれないが、
お任せしたいと言われたことを、わかりましたと引き受ける。
引き受けたからには全力でやる。それだけだ。
今回の仲良しさんクラス1組の子たちは、3学期きつかったろうな。
そんな中でも頑張って5年生を終えたんだろうな。
そう感じる場面を、僕は実際に覚えていた。
それは6の1の卒業式の日。
在校生として参加する5年生、仲良しさんクラス1組の子たちは、
5人が参加していた。二人は欠席。
一人は来ているけどやっぱり会場には入れないという事情で。
そしてたくさんの五年生の後ろで座っている彼らも、
1人はフードをかぶって全部をシャットアウトするような感じで、
別の一人はそわそわしていたけど、
隣のフードの子を見て自分もフードをかぶって。
残りの3人は全く動いていないのだけれど、
それはリラックスからは程遠い緊張感MAXの様子で。
そんな光景を覚えているから、この子達の6年生という一年が、
おもいきり楽しみ、伸びる一年になるように、
やれる限りのことはやってやるぞ。そんな気持ちで燃えてくるのであった。