意地悪で、しつこくて、面倒くさい先生
この健康志向の時代に、メタボな体形で丸っこい、口の大きな僕は、
そのまんまトトロだなと、ハンドルネームの「ととろん」も、
トトロをもじって名乗らせてもらっているのだけど、
このととろん先生、ありがたい事に、子どもには受け入れてもらいやすい。
クラスの担任になった時には、どんな人なんだろうかと、
興味津々でこちらの話を聞いてくれることが多い。
そんな僕が、出会う子ども達に毎年のように話す内容は、
みんなが楽しく毎日を過ごせる為に気を付けなきゃいけないお小言も、
時間を作って聞かせてあげる怖い話も、ラインナップはそろっている。
そして、ビシッと叱るときは、もうそれはそれは厳しいししつこい。
子ども達には出会った初日にきちんと宣言することがあって、
「先生は、この一年、沢山あなたたちをほめたいし褒めると思います。そしてそれと同じくらい沢山あなたたちを厳しく叱ると思います。でも、この一年は先生は自分の命よりあなたたちが大事。だから覚えていてほしい、あなたが泣くまで厳しく叱るときでも、大きな声で叱るときでも、あなたたちを嫌いで憎くてそんな態度をしていないということを。厳しく叱っている時も、心の中で「がんばれ!」「この失敗が伸びる力になれ」と思って応援する気持ちでいるからね。」
どんな時でも、子どもに怒りの感情で接さないという子どもとの約束だ。
叱ると怒るは違う。怒気は、相手に対しての敵意を持つことになるが、
子どもに対してそんな気持ちで接することはない。
そのため厳しく叱った後は、毎回、自分も落ち込んでいる。
叱る以外の言葉かけはできなかったのか、
叱ってしまう状況になる前に、十分な手立てはとれていたか。
もっとユニークに子どもに伝える方法はなかったか。
毎回毎回、叱る指導をした後には、次は違う方法でを考えて、
子どもを伸ばすのに、絶対的な正解はないからこそ、
教師と言う仕事は、正解を模索し続けるトライ&エラー&リカバーの
繰り返しだと認識して、子どもと向き合う時、忘れないように戒める。
とはいえ、僕と子ども達、メンバーは同じ集団の中で、一年を過ごすので、
時には叱り方がしつこくなるし、
前に叱られたことをくどくどと面倒くさく言うこともあるし、
注意が向くよう、ちょっと意地悪に言葉かけをしたり、
そんなことをすることも、よくあるのが、自分の特徴だ。
なので、日常の中で、子どもたちが、ぶーぶー文句を言うことがあると、
「はっはっは、この意地悪で、しつこくて、面倒くさい担任の日々は、まだまだあるのだから、覚悟したまえ。」
と開き直ると、子ども達もますますブーイングを飛ばしてくる。
それが、僕と子どもとの日々での中で、思い出されることの一場面だ。
だけどありがたいことに。
そんな、意地悪で、しつこくて、面倒くさい担任を、
楽しんでくれている子ども達ばかりだった。
「ととろん先生が子どもだったら、ととろん先生だけは絶対に担任になってほしくないと思うけどね。」
いつも子どもにそう話すと、「たしかにー!」と声を揃えられていたけど、
その時の子ども達はいつもゲラゲラ笑っていた。
そんな今回のテーマで、宝物のようにうれしかった出来事がある。
それは、ある小学校の5の2の子たちを受け持った時。
一年がもうすぐ終わろうかなという三学期のある日、
急いで食べ終えて仕事をしている給食時間に、
子ども達の会話が耳に入ってきた。
その内容は『来年は誰先生がいいか?』話。
「○○先生は優しいからもう一回なってほしい。」
「△△先生は、もう絶対なってほしくない。」
「6年になるのだから、やっぱりしっかりしている□□先生がいい。」
子ども達は、先生のこともよく見ている。ほぼ的を得た意見だ。
その話の中で、あなたは?と話を振られたRさん、
クラスのお姉さん的な頼られる存在で、クラス全員からの信頼が厚い子だ。
みんなの中心になって、みんなを引っ張っていく力がこの一年の中でも、
キラキラと輝きながら伸びていっているのがわかる、そんなRさんに
「Rさんは、誰先生がいいと思う?」
その質問にRさんが答えた。
「わたしは・・・意地悪で、面倒くさくて、しつこい先生がいいかなぁ。」
びっくりして、思わず、丸付けをしていた手が止まる。
ちらっと顔をあげてRさんに目をやると、
Rさん、ニヤッと笑って、僕の様子を楽しんでいた。
嬉しそうに思っているのがばれたなぁ。と思ったけれど、
それでもいいやと思うくらいに、嬉しかった。