普段の学びも感じてもらって、安心してもらえるように(1)
新学期が始まって、高学年の5年生は、ばたばたと最初から忙しい。
委員会活動決め、クラブ活動の希望調査など、他学年ともかかわる年間活動の決め事も目白押しで、
そんな中で、通常通りに学習も進めながら日々があわただしく過ぎていく。
気付けば4月も下旬に入る頃に、最初の学習参観日が予定されていた。
年度初めの学習参観は、新しい学級になったご挨拶的な側面もあり、
また、PTA総会も行われるので、そこで異動してきた先生は、
学級以外のおうちの方にも挨拶をしたりするスケジュールが組まれる。
翌週には、家庭訪問が控えている中での学習参観なのだが、
保護者さんにとっては、それ以上にやはり、
5年生になってからの子どもたちの集団としての学校生活は安心できるのだろうか?
そういった思いで来られる方も多いだろうと思われるのが察せられた。
4年生の時に、学年がだいぶ荒れてしまったことをおうちの方は知っているのだから当然であるし、
それなら全員がとんでもない状態だったかというと、始業式の話の中でもあったように、
半分以上の子達は、ちゃんとしなきゃとむしろ過緊張しているような張りつめ方の中で、
学校生活を過ごしてきたのだ。それは本当に苦しいことで。
学校は楽しくないと行きたくない場所になるし、
リラックスできる場所でないと望ましい成長はできない。
集団の中で全員が心地よく過ごせる為に、
守るべきことは守り、お互いを認め合って、苦手や得意は互いに協力できる
そうしてみんなでやっていくことが楽しい、と思えるかどうか。
荒れてしまうと、なにがなくなるかその枠組みたる
共有している守るべきことが無くなってしまうのだ。
そういった状態が学校生活で繰り広げられることを、
おうちの人が喜べるはずがない。学校側がどう関わったにせよ、
昨年度というか先月まで、そんな状態だったことが強く印象に残っているおうちの人に、
さて、子ども達のどんな様子を見てもらえたらいいだろう。
そんなことにも思いを巡らせながら、
僕は社会か道徳か、どっちにしようかなと考えていた。
すると、船長が僕と姉さんに声をかけてくれた。
「二人は、学習参観で何をするかはもう決めたかい?」
僕より先に姉さんが返事をしてくれた。
「まだそこまで考えが回ってないです。申し訳ないです。」
僕もそれに続く。
「同じくです。」
そうすると船長は、
「それなら提案なんだけど、今度の子ども読書の日があるやろ?その日に詩の朗読会をして、その感想の発表会を学習参観でしようと思っているんだけど、学年でやってみないかい?」
おおお、船長、一手も二手も手立てを打ち出してくださる。
姉さんと僕は声をそろえて、
「やりましょう。」
と二つ返事のOKを出したのだった。