不登校先生 (58)
9月に入った。
通院をした際に、傷病手当の書類の記入をお願いした。
「引き続き、週に一度の通院は継続してください。」
そういわれて、診察は終わる。睡眠障害はまだなくならないが、
退職してだいぶ、気持ちが楽になってきたように感じる。
残暑がまだ残る中、虫の声はセミから秋の虫達に、奏でる音色は変化して、
刺すようには日差しの暑さはほんの少し優しくなり、
季節は、秋に模様替えしていきつつ感じた。
「先生、大丈夫ですか?」
八月に畑に連れて行ってくださったお母さんや、
心配して、お寺にお参りに行ってくださったお母さんではなく、
別の受け持っていたこのお母さんから連絡が入る。
「少し外に出られるようであれば、映画の試写会に来られませんか?」
聞くと、その映画はドキュメンタリー映画で、
プロの映画監督が撮っているが、完全自主製作なのだという。
そしてその被写体として追いかけられていたのが、
7,8年前、プロフェッショナル~仕事の流儀~でも取り上げられていた
小学校の先生だった方であった。
聞けば、全国放送でNHKで番組に取り上げられた直後に、
働いていた自治体の学校現場と、完全に決別することになり、
ご自身の教育法を、全国のあちこちの自治体で、研究テーマとして提案し、
幾つものほかの街で、街ぐるみで実践や研究協力に携わり、
教師の関わり方について、今現在考えていらっしゃるその方の実践は、
その芯のところで、共感できる内容だったので、
「ぜひ行きたいです。」
そうお返事をして、9月の末に試写会に参加させてもらうことになった。
成程、その先生の働いていて決別した自治体は、
僕が15年働いていた自治体と同じなのだが、
その街を「見限った。」と、きっぱりと言っていたのが、印象に残った。
現在の教育に足りないものは何か、余計なものは何か。
不変的な教師の立ち位置はどこにあるのか、
そういったことを非常に考えさせられる内容になっていた。
試写会で、やっぱり先生として働く事にいつか戻りたい。
そういう前向きな気持ちが、
心の底からにじみ出てきているような気がした。
その日、受け持った教え子さんも、お母さんと一緒に来てくれていた。
考え方も身長も大きくなったその子は、
学校の先生を目指して、高校受験なども、考えているとのことだった。
「先生は、これからもっと大変になるから、やめたほうがいいかも。」
少し苦笑いで、少し冗談っぽい口調で僕が言うと、その子は、
「でもととろん先生はまた戻る気がします。」
と、笑って返してきた。
教え子やお母さんが思っている通りの、
がむしゃらに子どもにだけ100%の姿勢で臨むの先生が好きな僕は、
たしかに少しずつ、心の中に滲み出てきて
戻って来つつあるのを、自分自身でも感じていた。
↓次話
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