不登校先生 (50)
駅を降りて、ハローワークまで歩く。
これまでも、二、三度、この道は通った。
いつもこの道を通るときは、気持ちが暗い。
だけど今日は、以前よりは少しだけ前向きに。
療養しながら、きちんと生活に不安がないように。するために。
その準備だから、と自分に繰り返し言い聞かせて。
陸橋を超えればハローワークだ。もうすぐの所まで来たその時、
着信が入る。登録していない番号だ。
「・・・・・はい、もしもし」
「あ、ととろんさんですか、私、先ほど窓口で話をした宗像市役所の生活支援課のものです。」
「先ほどはありがとうございました。」
「はい、で、ととろんさんもうハローワークに行かれましたか?」
「もうすぐ着くところです。」
「あ、じゃあ間に合いました、よかった。」
「?」
「いえ、あの後ととろんさんのことについて課の中で、話していたのですが、失業保険は申請難しいのではないかと。」
「え、そうなんですか?」
「はい、失業保険は、失業したけど働ける準備がある方が再就職するまでを支えていくものなので、今、病気療養中で働けないとなると、失業保険は受けられないのではないかと。」
「な、なるほど、、、確かにそうですよね。」
急いでいた足が止まり、不安がじわっとにじんできた。
「で、ですね、働けない状態であれば、まずは傷病手当の申請をされてはどうかという話になりまして、今急いで連絡を入れさせてもらったところなんです。」
「傷病手当?ですか。」
調べていなかった言葉だ。
「はい、傷病手当です。退職された後も療養で働けない方には、その申請ができます。ととろんさんは保険組合はどちらでしたか?」
「えっと、、協会けんぽ、、、ですかね。」
「でしたら電話番号は、、、○○○ー○○〇-○○○○ですね。まずはそちらで確認されてみて下さい。」
「わかりました、ありがとうございます。」
たしかに、僕は今働ける状態にない。失業保険は当てはまらないのか。
市役所の担当の方は、ヒアリングの内容をその後も話し合ってくれたのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の退職に当たって。
もちろん自分の療養する生活を、自分で守っていかねばならない。
これは大前提なのだけれど。
もう一つ。確かめたいと思っていたことがあった。
それは、「公助」は自分を支えてくれるのか。
どうやったら「公助」に支えてもらえるのか。
ということだ。一人で40過ぎまで生きてきて、家族もいない独り身の、
非正規雇用の講師だった者が、貯金もなく心を病んで働けなくなった。
そんな、「自助」「共助」は身の回りで発動しない状態で。
「助けて」をどう伝えたら、行政は守ってくれるのか。
もっとだめなら次の手が、次の制度で助けます。
そう言わんばかりに相談に来た人のことを考えてくれる姿勢が、
市役所にはあった。
生活支援課の方は、今の僕のような状況ではどう動けばいいかを、
相談が終わりました、はい終わりでなく、話し合ってくれて。
「公助」は確かにあった。
「助けて」を届ける気持ちを行動に移せば、
自分の状況を絶望から救う方法を一緒になって考えて提案してくれる人は、
たしかにいた。家族や、友人でなく、行政の中にあった。
ありがたい。そう感じて電話を終えると、
ぼくはハローワークに入らず、教えてもらった電話番号に電話をかけた。
↓次話
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