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不登校先生 (10)

今回からでてくる、診察中のやり取りなどで自分のことを呼ばれている部分は、アカウント名の「ととろん」で表現させていただきます。


「23番の方、どうぞ」

呼ばれて診察室に入ると、

「今日はどうされましたか?」

少し早口で、でも穏やかな口調で、院長先生が訪ねてくださった。

「あの、、、、金曜日の仕事からの帰りに、、、、

 ホームに飛び込みそうになりました。完全に危険信号かなと思って

 診てもらいたくて。」

「それはきつかったですね。よかった。ほんとに。飛び込みそうでとまってくれて、本当に良かったです。」

「その後、土日も、ひとまず職場の管理職には連絡して、今日、こちらが予約なしでも診察してもらえると伺って、来た次第です。土曜も日曜も、ほとんど眠れていません。」

「ええ、、、ええ、、、そうでしょうね。ととろんさんこれはだいぶ重症ですよ。もう、だいぶ。」

「だいぶ、ですか。」

「はい、もうだめですよ、まずは何もせず考えないで。休んでください。」

「はい、、、、何もってどのくらい何もしないんでしょうか。」

「難しいとは思います。一生懸命何年も考えて何かをし続けてきたのでしょうから。でも、その勢いがそのまま、今は、自分にマイナスに負荷をかけているんです。ですからね、まずは、何も考えないで、休むことを意識してください。悩むこともしないようにしてください。」

「ととろんさんの十何年の頑張ってきた疲れが今いっぺんにあふれ出ているので、それだけ自分が頑張ったんだと思って、まずは休まれてください。」

休むを意識する。休むを頑張る。頑張っちゃダメをできるようにする。

たしかに、と診察を受けながら思った。この二十年ほど、

しっかりと、休んだことってあっただろうか。

先生になる前は、コンビニの店長だった。

学生時代の夜勤のバイトからの名ばかり管理職。

月に600時間働いたこともあった。180連勤越えもあった。

時給にしたら15円みたいな働き方に絶望したっけ。

先生になったと思ったら、職員間のストレスで叩き潰された15年前

その後何とか拾ってもらった、もう一度時給任用殻のリスタート、

仕事を全うしていこう、全うしていこうと、繰り返しているうちに

気付けば15年目まで、毎年毎年、個性豊かな子たちに、

負けないほどの個性で一年間を、楽しく、厳しく、温かく

「守る・楽しむ・伸びる」

子どもと一緒に過ごす間中、ずっとその言葉に嘘がないように、

長い休みには、子どもがいないうちにと次の学期の準備を考え、

直後に訪れるであろうと見通せる仕事の準備をし、

準備で余裕ができた分の時間は、毎日、子ども達と向き合うことに

全力で取り組むことに費やす。

いつもの口癖は「3月末に死にたい」。決して後ろ向きでなく。

受け持った子どもたちを送り出して、

次の子どもの受け持ちが決まるまでの間に、

寝ている間に心臓や脳が、動きを止めてくれれば、

思い残すことはないのに。

そんな気持ちで、一年、一年と、子どもに向き合って。

同じ思いで向き合っている友人から、いろんな面白い事を教えてもらえば

すぐに子ども達とやって楽しんで。

そう、それを、楽しいと。

自分自身がそう思って生きている間は、働けている間は、

泉のように湧いてくる心の元気に、

毎日の疲れが薄められて、やれていた。

だが、湧き続けた泉も、ポンと投げ込まれた石によってふさがれてしまえば

それが一個や二個でなく、一気にドサッと投げ込まれてふさがれてしまえば

枯れた泉から再び元気が湧いてくることはなく、

もはや見失った源泉は完全に砕けた心に覆われて、

何にも湧いてこない。

かろうじて命をつないでくれた自分の中の自分のおかげで、

はっきりとイメージできるココロノカラッポサ。

これが、無気力。本当に心が砕け散った状態。

「院長先生、ぼくは、僕の心の状態はどんな病状になるんですか。」

「ああ、そうでしたね。ととろんさんの診断はこれです」

カルテに書かれた病名は【うつ病】

「まずは、休んで、後気分が落ち着いてくるうつ病のお薬と、

寝つきが良くなるお薬でゆっくり回復していきましょう。」

「本当に、よく頑張りましたね。ゆっくり休みましょうね。」

初めて会った院長先生の診察で、待合室で何とか止めた涙が、

また、零れたのを感じた。

↓次話


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