大した人間ではないから
先生は、大した人間ではない。少なくとも僕自身は。
それなのにどうして大した人間であろうとするのか。
そんな書き出しを書いて思った。「大した人間=大人」なのか。
だから、子どもには「大人」に見える先生は、
大した人間を見せようとする人が多いのではないだろうかと。
思わぬ発見にちょっとした嬉しさを感じながらも、
僕自身は、これまで先生であった間、
自分を「大した人間」と思ったことも、
「大した人間」である様に見せることもなかったなと、改めて感じた。
自分を卑下するとかではなく、いやどこか卑下しているのかもしれないが
実際「大した人間」だと自分をそう思ったことはないので、
子どもと出会った一年の始まりの日、そのことを子ども達には伝える。
「先生は、すごい人でも、天才でもありません。みんなよりほんの何十年か先に生まれただけ。それだけの人です。ただ、みんなが今過ごしているような時代を、ほんの数十年前に経験した分、みんなに『こうしたほうがうまくいくよ。』とか『ここで頑張ることが大事だよ。』とか『このことだけは絶対に覚えておいた方がいいよ』とか、そんなことを、伝えられるようになれればいいなと思って、みんなの前にいるよ。」
と、そんな話をしてから、プリントを配って話をするのは、
一年間の学級のめあてについての話だ。
ととろん学級のめあては毎年変わらない。三つの簡単な単語だ。
「守る・楽しむ・伸びる」
そしてこの言葉を一年間、先生も子ども達も意識して過ごしていこうと。
そのために大事な合言葉が、
「やるときはやる・やることはやる・やれる限りやる」
という言葉。この気持ちのままで十数年、子ども達と過ごしてきた。
今年度、不登校先生になったように、
僕は、大した人間ではない。人生も失敗ばかりだ。
だからこそ、出会えた子たちに教えられることは、
この学級のめあての言葉ぐらいだから。
一緒に過ごす日々の中で、自分自身がもっとしっかりとできていたら、
と思うこの言葉を、自分自身にも一緒のめあてにして教えて伝えていく。
守ることの大事さ。命を守る・決まりを守る・時間を守る・約束を守る
あなた自身で考えて、何を守ることが大事なのかを、意識しよう。
楽しむことの大事さ。いろんなことを守りながら、
自分も楽しいあの子も楽しい、みんなが楽しくなるようにしていこう。
伸びることの大事さ。体と、知恵と、心が。
いっぱい動いて体力がつく体が大きくなる、新しいことを学んで賢くなる、
優しさや、勇気を心に思ったり行動できたりするようになる。
その全部の「伸びる」を先生は「伸ばせる」ように支えていく。
子ども達の生きる時間は、僕よりずっと長く続いている未来だから。
僕自身が、もっとできていればよかった自分自身
自分を守れる自分になって、
自分で楽しみを見つけられる自分になって、
自分で伸びていこうとする自分になって、
生きてこれたなら、きっともっと自分自身が、
満足できる人生だったかもしれないから。
大した人間ではないから、
伝えられることは少ないから、
せめて出会った子どもたちが、
自分自身で生きていけるようにと願いを込めて。