無力さから学んだこと(中)
しかしその週に一度の家庭訪問が、1か月ほど(4・5回ほど)続いた頃、
再びお母さんから「頻度を減らしてほしい。」との連絡が、管理職に入る。
いつも玄関口で話しているのは僕とあゆ先生なのだが、お母さんとしては、
家庭訪問に来ている僕らには、言いづらさを感じているのだろう。
決して嫌がられることなく、学校に来てほしいという話などは全くせずに、
家庭訪問をしていたので、僕らが来ること自体に、
管理職に苦情のように連絡することはできないよう注意は払っている。
だからこそ、断る理由が見つからないので、
理由はない要望の電話になったのだろう。
だが、明確な理由がないと、要望の圧も弱くなる。
対応してくれた管理職も「こうくんの支援を継続していけるように。」と、
週に一度の家庭訪問の継続を、再度約束を取り付けてくれていた。
学校側の「不登校でもつながっておかねばならない」という意図と、
家庭側の「うちのことは家でほっておいてくれ」という意図。
その間に、こうくん自身はどう思っているのかはずっと見えないままだ。
僕は当然学校側のものとして動いているのだが、学校の意図の先の、
「なんとしても不登校を解消させたい」という狙いについては、
この時からすでに否定的であったので、
「無事に生きてくれていればもうそれでいいじゃないか。」
という思いだった。おそらくそれが、家庭訪問の時の言動からも感じ取って
もらえていたから、お母さんも毎回扉を開いて話してくれたのではないか、
とも思っている。だが、一方で、僕にはそこまでしかできなかった。
運動会も修学旅行も、学級で毎日のように起こる楽しいことも、
こうくんには全く残っていないまま、冬になった。
本人ももはやお母さんから離れることが一番の恐怖になっていて、
お母さんもこうくんから離れることができなくなっている。
共依存のような関係になっている二人の間に、僕らができることは、
無理やりくさびを打ち込むことなのか。
だが、くさびを打ち込むだけ打ち込んで、
こうくんのために良かれと思ってと行動したとしても、
僕らが関わるのは、一年限りなのだ。その後無理やりくさびを打ち込まれ、
二人の関係性が壊れてしまったとしても、そこから先に責任は持てない。
もうお互いが離れられないほどに依存しきった関係の母子に、
僕らができることは全くないのだと思わされてしまった。
せめてなんかできることはと提案したのは、
スクールカウンセラーの先生と面談してみないかというものだった。