不登校先生 (45)
「ではいきましょうか、ととろんさん。」
たてなくんが車で家まで来てくれた。
8月1日。日曜日。無職になった初日。
校長先生と打ち合わせて決めた今日、元職場に残った荷物を取りに行く。
荷物の量はどれくらいだっただろうか。
たてなくんの、車には、息子君もついてきてくれている。
後部座席を全部、まっ平にできるファミリータイプの車で。
果たして運べるかどうか。それぐらいの荷物だ。
僕は車を持っていない。そのため異動がきまると、
春休みの間に、学校から学校へ荷物を運んでいた。
職場で仲良くなった先生や、校務員の先生に、
「おひるごはんが、バイト代で!よろしくお願いします。」
というと、いつも快く運んでくださった。
そうして積もり積もって十数年。
軽トラ+ワゴンいっぱいくらいになった荷物。
直近の前職場では、そこから僕への異端者感情は生まれていたようで、
出勤初日、朝職員室に入る前に、呼ばれて忠告を受けた。
「実はこの荷物の多さ、職員たちはととろん先生を不審におもっている。
なので早めに荷物は片づけておいてね。」
これまで毎年どこかで使ってきた道具たち。
不審に思った道具で指名された鬼のお面やクリスマスのサンタ服は、
毎年節分やクリスマスで子どもたちと楽しんできたものだ。
大量の学級文庫も、読まれている、いない、に関わらず毎年棚に並ぶ。
しかし、それらすべての道具は、「面白そうな同僚」ではなく、
「不審な異動者」としか思わせていなかったようだ。
あの、4月のうつになった夕暮れの週末。その直前の時間に、
3分の一を捨てて、3分の一を教室に出して、
3分の一を持って帰れるように整理整頓して。
そのまま僕は職場に行けなくなった。そのまま退職に至った。
僕の相棒だった道具たち。
一回きりで眠っている道具も、毎度出てくるレギュラーさんも。
僕が、子どもと向き合うその時その時に、役に立ってくれた道具たち。
僕は今無職になった。不登校ではなく登校できない人になった。
この道具たちが子どもの前で活躍する日はまた来るのかな。
またこの道具たちと働く事はできるのかな。
そういう気持ちで寄り添うと、道具たちは十数年連れ添った相棒に感じて。
「もうすべて捨ててください」
ではなくて、僕がちゃんと迎えに行かなきゃ。
たてなくんの車で、退職した学校へ進む日曜の昼下がり。
校長先生以外誰にも会わないとわかっていても、
ぼくの、心は緊張に揺さぶられた。
(一回で終わらせよう、一度で全部荷物を運びだそう)
どうやらまだ、心の傷は、癒えていないのだなと、そう感じた。
↓次話
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