「アメとムチ」よりも。
45歳からの「これでいいのかな?」を「これが面白い!」に自然と整うお手伝い、スキップコーチのみさです。
いきなりですが、「賞罰」ってどう思います?
子育てで
「これをやったら、買ってあげる」
「これを破ったら、禁止ね。」
みたいなこと。
まあ、子育てが分かりやすいですが、大人同士の人づきあいでもペナルティ的なことをする人、する職場、あります。
私が小さいころ、父は仕事だのなんだのであまり家にはいなかったのですが、親戚が集まった時にこんなことを言って子供達(私やいとこたち)になにか手伝いをさせてました。
「この手伝いやったら、これ買うてやる。ほら、かかれ~」
「子供らが喜んでしよるがな。手伝いもしよるし、ええんや!」
とニコニコしてた父。
でも。
正直言うと私はちょっとイヤだった。
「買ってほしいがためにやる」「買ってもらわないとやらない」
なんか、そんなものをちらつかせないと、やらないって思ってるの?それに、それ別に買ってほしいなんて言ってないし。
買収されたような、そんなもので私を買えると思わんでほしい、みたいな。
そんなケチな人間だと思われてるようでいやだったなあ。
どうせ買ってやるんだから、楽しく手伝いしたらいいやんか、と父は思ってたんだと思うけどさ。なんか納得いかない。
で、時は流れて、私は大人になりました。「もので釣りたくない」と思ってた。だから、手伝いしてほしい時はシンプルに「やってほしい」とお願いしたり、「やりなさい」と命令したりしてた。
でも、子供達は・・・やってくれなかった。そんなお願いや命令ではやらなかった。(なんだよー!)
そう、「アメとムチ」って人を動かすシンプルで効果的なやりかたなんだなあ。と今さらながらに思いました。きっと父は子供達がそう簡単に思い通りにいかないから、(行かないと思ってただけかもしれないけど)手っ取り早く「アメ」を出したんだろうと思ったくらい。
ただね、「アメ」作戦だとだんだんと「条件闘争」になることがありました。
「これやってくれたら、これ買ってあげる」
みたいなことを言ってると、だんだんと条件に焦点が当たって、
「これ買ってくれないとやらない。」(だんだん高額になっていく)
「これしたんだから、これを解禁しろ」
反発が強かったり。
そして、「アメとムチ」ばかりに目が行ってしまいました。
(他にもどうやったら怒られないですむか、みたいなことばかりにね。)
「家庭内での役割分担」のはずだったのになあ。根本的に違うよなあ。
なので、私は今は
「賞罰はやめようや」
です。
じゃあ、どうやって子供に言うことをきかせるのか?って?
それは、「言うことを聞かせる」という発想をまず考え直してみようよ、ってこと。
上から下のものに命令するのではなく、相手と自分を対等と思って話す。
アメとムチ(賞罰)
ではなく
いいね、助かったよ、ありがとう。(勇気づけ)
「言うことを聞かせたい」ってどんな状況?
危険なことはもちろん、ダメなものはダメ、だけど、それ以外のことは、もしかして相手の問題に首を突っ込んでない?教え込むことばかりに熱心でやる気や自分で考える力を軽く見てない?
私の場合ですと
「あー、こうしちゃいけないんだなあ。こうだったなー。」
と心から思って次からは「絶対これしない」と学んだことってどんな時だだっけ?
考えてみると自分からやって失敗した時だったんですよね。
そう、「自分からやって失敗する」とっても大事なんだな、と。
だから、「アメとムチ」を使わなくても学ぶことはできる。
大丈夫、考える力をみんなもってるから。
アメとムチを使わないで子供や家族と接してみる。ありかもねー、と思ったら、意識してみてくださいね。
お読みいただきありがとうございます。
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