せっかく自営業なんだから

施設の利用者さんが亡くなった。
介護施設ではよくあることだが、それでも慣れるということはない。

この年になると、他人の死に目にあうことが多くなる。
若い人を見送るのは精神的にキツイが、高齢者を見送る時は、どちらかというと「お疲れさまでした」という気持ちになる。

自分も、最期のことを考えるというか、逆算して「あと何年働けるかな?」と思う。

人生は有限だが、何かを成し遂げようとすると短く、ただ奴隷のように労働をしていると思うと長い。
と、誰かが言いそうなことをわかったように書く、根が怠け者の私は、いつまでもダラダラとスマホでTwitterを見てしまうし、ダラダラとアマプラでアニメを見てしまう。

休みの日はダメ人間として本領を発揮し、これが令和だ、とわけのわからん説を自分に言い聞かせている。

私はせっかく自営業(仮)になったのに、会社員癖が抜けない。
空いている時間を有効に使う、ということに慣れていない。

ぎちぎちにスケジュールを詰めればいいのか?思って、簿記の勉強を始めたりしたが、直接の稼ぎになりそうにないな、と思うと萎える。
趣味と割り切ることもできない。ケチ精神を発揮するのでありました。

カフェは、ほぼボランティアみたいな位置づけなので、やりがいはあるが、お金は稼げない。

もし、田舎のカフェで稼ごうと思ったら、値段を高く設定し、唯一無二のものを出す方向になる。
実際、地方のカフェをまわって話を聞くと、長く料理人をしていたり、調理師免許があったり、パンマイスターだったりの資格をもっている人たちがやってたりする。

私はというと、これから料理の修行をして頑張る!というほどの情熱はない。もちろん、おいしいものを出せたらいいとは思うが、コミュニティカフェの域をでなくていいな、と思っている。
村民や高校生のたまり場であってほしい、というのが第一なのだ。

地域活性化を目指したカフェは自治体が主になっているものが多いが、音威子府ではなかったので作りたかった、というのが私たちの始まりなので、カフェをどうこうしたいわけではないのだが、私は、トド夫に頼っている現状を変えたいのだった。

介護の仕事はフルで働けば十分な給与だが、土日にカフェをやるとなると私は体力もないので、数日しか介護の仕事をしていない。

結果、トド夫の会社の経理をやらせてもらったり、時折、お小遣いをもらったりして生活している。
私たちはお財布は別々なので、現状維持するにはそれでいいのだが、私はやっぱり自力でなんとかしたい。

トド夫に何かあったら全て終わってしまう、という状況にしたくない。
二人とも中年だし、病気になるかもしれないし、万が一のため、お互いに支えあえたほうがいい、というのが私の考えだ。リスクヘッジよね。

ある日、仕込みをしながら、podcastを聞いていたら、厚利少売、というのがでてきた。
薄利多売の逆だ。本もでているらしい。

単純にいうと、先ほど書いたように、少ない客で単価を高くする、ということなのだけど、こういう風に四字熟語にするとわかりやすいな、と思って聞いていた。

ベッドに横になりながら、今日、こんなpodcastを聞いたんだよ、とトド夫に話すと、へえ、と返ってきた。
興味があるかと思い
「私も厚利少売がしたいよ!なんかいい仕事ないかな?」と食い気味で聞いたら「ない」と一刀両断。

くっそーと思いながら、ふて寝しようと思った私は逆に眠れず、ぐうぐうというトド夫のいびきだけが部屋に響いているのでありました。

いろいろと模索する日々です。
働けるのもあと15年くらいだ、と思うと、感慨深いものがありますね。

強みを生かす、得意を生かす、好きを生かす、を厚利少売でやれたら、最高だ!と思うのだけどね。せっかくの自営業なのに。
やっぱり本格的に画商的なことやろうかな。

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