支援方法を統一する葛藤
日々の仕事の中で「職員間でどこまで支援方法を統一すべきなんだろうか」という葛藤があります。バランスが難しい。
例えば『おかたづけ』。ある職員は半分くらいでOKとしたり、またある職員はひとつ片付けられればOKとするなどバラつきがあったりする。それをハタから見ていると「あの子はこういう声かけをすればもっとできるのに」とか「日々の接し方をもう少し工夫すればもっとやってくれるのに」とか思ってしまうことがあります。
でもそれと同時に、
いろんな人との、いろんな関わりが大事なんじやないかとも強く思っています。児童が職員を見て「この人はこのくらいやっておけばOKになるな」とか「この人のときはちゃんとやらないと」とか、そのバラつきがむしろとても大事なんじゃないかと思います。なぜならそれが『現実の世界で生きていくこと』だと思うからです。
世の中には優しい人もいるし、理不尽な人もいる。いろんな人がいますよね。人を見ながら行動を変えることができるっていうのは、世の中を上手に生きる能力のひとつなんじゃないかって思います。
『おかたづけ』の例に戻すと、「全部片付けることができるのが良い」というひとつの価値観を押し付けるのではなくて、「いろんな大人のいろんな考え方があるんだな」っていう気づきを与えられるのが良いような気がします。その中で子どもたちが「この考え方良いな」とか選んでいければ良いなと思います。価値観を広げてあげられるような支援をするにはあえて支援を統一しない方が良いような気さえしてしまいます。
支援を統一するのは、企業側や団体側の単なるエゴに感じてしまう時があるんです。「この支援を続ければ、この子は成長する」みたいな。全部片付けをできるようになるのが成長なのか、人を見ながらうまく乗り切る術を覚えることが成長なのか。自分は後者も素晴らしい成長であり、能力であると感じています。
なので支援を統一することの大切さもとてもよく分かりますし、統一しないことでも学べることはたくさんあると思います。でも支援を統一しない支援てあまり理解してもらえないし、受け入れられないんだろうなって思います。それが残念です。