Ado LIVE TOUR 2022-2023「蜃気楼」 最"遅"レポート
1 Adoってすごいバンドがいるんだ
ーAdoってすごいバンドがいるんだ。ライブハウスが角砂糖みたいにちっぽけになって、しかも聴いている連中はみんな宇宙に放り出される。
この情報過多の時代にはおよそあり得そうもない勘違いだ。だけど一昔前であればそんな勘違いが口コミで広がったかもしれない、と空想したくなるほど、Ado初の全国ライブツアー「蜃気楼」の会場では一体感のある音楽が届けられていた。スタンディングのフロアはツアー時点でのガイドラインとルール遵守で押し合ったり混乱することもなく、むしろ大音量のライブが初めてなのか、圧倒されて棒立ち状態のひとが目立ったのも、どこか不思議で目新しい光景だった。楽曲に触れながら記憶の中でreviewしてみよう。
(何日参戦でのこの曲という通常のレポート形式ではなく、複数会場に参加した視点で編集しています。また、文脈からわかりますが参加していないコンサートに触れている部分もあります)
……「踊」
「行方知れず」
「ギラギラ」……
満員のZepp会場にはAdoの曲のインスト版が流れ、「心という名の不可解」終盤からボリュームが上がり、いよいよ開演となる。
ステージを覆う白いスクリーンに映し出される青い薔薇。2002年、自然界には存在しなかった青い薔薇の誕生により、花言葉は「不可能」から「夢かなう」へ。同年に生まれたAdoの来歴が、初音ミクとの出会いから紹介されていく。カゲロウプロジェクトとの出会い、歌ってみたへの初投稿、イメージディレクターORIHARAとの出会い、メジャーデビュー…見慣れたイラストのAdoがクロースアップされると、幕が切って落とされ、大音量の「うっせぇわ」の青い稲妻が走る。
透明のボックスの中でシルエットとして歌うその姿とボーカルが、音も声もリアルなのにどこか現実離れした感覚に包まれた今回のツアーの核心を一瞬で提示。低目に抑えたトーンに赤い怒りのシャウトでメリハリをつける、いわば成人版「うっせぇわ」。MVを受けて銃口に擬した手を自らに向ける、終わり間際のマイムも鮮烈であった。
間をおかずに、「ウタカタララバイ」。カラフルでポップな映像演出、可憐なターンごとになびく衣裳の裾、ぶれないボーカル、高速ラップパートは右手で拍をとりながら危なげなくこなす。主要な歌詞がバックで大写しになるのも面白い。
拍手と感嘆が会場を領するなか、両壁面に緑系統の光で大きな薔薇が映写される。ここからは、水分補給と調整を入れてか曲間はやや空き、出だし2曲のようなたたみかける感じではない。SEもMCも入れず、一曲入魂で歌いこむストイックなスタイルだ。次の曲が始まると、そんなわずかな間はなんでもない。
さあ、「私は最強」。ボックス内に差すわずかな光。徐々に扉を開くように、虹色の背景が広がってゆき、際立つAdoのシルエット。のけぞるようにシャウトする姿がくっきりと浮かび上がる。サイキョウは時にサイコーにも聞こえた。間奏で、左右の壁を探るようなパントマイムが入るのだけれど、後から考えると、透明な壁にはじめから囚われているのでいっそう興味深い。パブリックイメージの押しつけに、アニメのキャラクター再現への過度の期待、初ツアーのプレッシャー…何重もの壁との闘いでもある。
次に「ギラギラ」。水銀のような雫が無数に上昇してゆく映像と会場にドットをうがつ水玉ライトがギラギラ。一旦おちついたボーカルの低音が心地よく、からだを横に揺るダンスは本人も心地よさ気だ。ステージ上方3面の横長の映像では、はじめに上にのぼっていた水滴が、いつしかきらきらと流れ落ちてくる。
2 ボカロ曲カバー、メジャーデビュー前の曲を披露
気分よく、ボーカロイド楽曲のカバーが2曲続く。
まずは「シザーハンズ」(Nem)。生演奏のブラスではないが、前曲のR&B調からJAZZ感の濃い本曲への流れは自然であり、しかも意表を突かれた(歌詞的には「愛されない」から、いつか「愛してあげる」)。繊細かつパワフルで、これまでにはなかった妖しさまでただようのはどうしたことか。
……。
原曲はティム・バートンの映画を参照、手が鋏のまま残生を過ごすことになった人造人間の悲恋のものがたり。ハサミなので、愛するひとに触れることすらかなわないのだ。映画では古城で氷を削って孤独を癒やし、その氷屑がクリスマスの雪となって町に降るという言い伝えになっていた。だのに、クリスマスを見事に外したツアー日程を考えると、ほほ笑んでしまう(必然、移動日となる)。Netflixでちょうど往年の「アダムス・ファミリー」のスピンオフ「ウェンズデー」が年末に公開され、陰キャダンスもバズっていた。
隠れたクリスマスソングに続くのは、「千本桜」(黒うさP)。選曲自体にもう会場が沸いていた。抑揚の利いたAdoの千本桜と次々に鳥居をくぐるような映像、風車、かざぐるま。季節感なんてなんのその。ツアーの終盤には年末の大型フェスCOUNT DOWN JAPAN 22/23の大トリに抜擢され、ツアーを圧縮したようなセットリストを披露したとか。見事ヘッドライナーとして大会場を盛り上げ、ボカロ曲では「千本桜」1曲が選ばれ、好評だったらしい。
セットリストは2パターン用意され、別の日には、カバー2曲の位置にメジャーデビュー前のフィーチャリング曲が配される。
まず「シザーハンズ」の位置に、くじら「金木犀 feat.Ado」、楽しげな振りつけと歌唱が存分に芳香を振りまく。オレンジの街並みの「金木犀」に続くのは、赤い液体がとぐろを巻くjon-YAKITORY「イート feat.Ado」。巻き舌が山椒のようにぴりりとして、肉食系の咆哮につながる。マイクスタンドを持ち上げて振りまわす(ほどの)熱唱。「イート」でも大写しの歌詞がばしばし刺さった。うつむいた横向きのシルエットにまとめるまで固唾をのんで聴き入った。ほかの曲ではそんなことはないのに、ギターソロが格別に印象に残った曲でもあった。
「過学習」は各楽器パートとボーカルがしのぎを削る、相変わらずスリリングな進行。ロングトーンに会場のペンライトの動きがうまくシンクロする場面も見られた。全速力で駆ける「リベリオン」(Chinozo)のラスサビ前の不敵な呟き、「行方知れず」(椎名林檎)の神経質なひずみとチェンソーで薙ぎ払うようながなり。いずれもライブ映えする、ある意味シンプルなロックが奏でられる。上記2曲は映画「カラダ探し」のための書き下ろし提供曲で、映画も大ヒットした。
Adoの持ち歌と表現力の渾然とした魅力、ポテンシャルの奥行きがそらおそろしい。
3 ウタの物語へ
「ラッキー・ブルート」は、ある会場では仕草振りつけがよく見えたので、ありがたかった(最大でも3000人未満という本ツアーの会場規模と1階スタンディングという条件を考慮すれば、かなりの観客は何が起こっているかわからなかったのではないか。本ツアーで唯一惜しまれる点である)。歌が始まるとすぐにばたりと右側面へ倒れる。そのまま仰向けになって歌ったり、うつぶせのまま脚をばたつかせたり。1stライブ「喜劇」からこの歌い方だと聞く。今ツアーでは「ウタ」の気性や性格も重ね合わせられる。映像演出はMVを受けて監禁や拘束のイメージを連ねる。
囚われのイメージは、音楽の島エレジアに幽閉されているようなウタの物語へすんなりとつながる。
鬼気迫るTot Musicaからの3曲はハイライトと言ってよいだろう。
崩壊のはじまる禍禍しい序、自責と自浄の転、再生への道筋を示す結び。
どこに溜められていたのかというエナジーによる、Adoの凄まじい音声(おんじょう)。
ルーン文字、子音と濁音の激流、メタリックな髑髏や紫系統のレーザーでライブハウスを暗黒宇宙と化するTot Musica。時にAdoの姿がダークな背景に溶けこんではらはらする。途中から日本語の歌詞も何語なのかわからない感じに聞こえてくるのもまさに呪文。
魔王に呑まれて精根尽きてくずおれ、きれぎれに、かすれがちに、「世界のつづき」へ入ってゆくはかなさは、複数回公演を観たうえで言えるが、意図した演出だった(同様に、「リベリオン」ラスサビ直前の不敵な笑みをふくませた声ふるわせるフレーズも)。
エレジアの沖合いが見えるバルコニーを彷彿とさせる柱廊、歌唱が活力を取り戻すのと歩調を合わせて中央の満月が次第に大きくなる…。歌がもたらす温情。輪唱パートの歌い分けも、二度目はよくわかった。
「風のゆくえ」。
地平線に光雲と光の柱が見える。おさえた出だし。次第に雲が拡散し…マイクエコーのかかった裏声が雰囲気を一変させる。静から動へ。舞台は宇宙に。朱に染まってゆくのは夕焼けか、新たなビッグバンか。微塵となった星の流砂がこまごまとひろがり、やがてうすまる。動から静へ。音楽の恩情。
そして、一度目のMCが入る。2ndライブ「カムパネルラ」と似ている。残り一曲となるまで歌いこんで、ようやく話せそう、というAdo独特のペース。わりと気さくに、たとえば旅先(ツアーで訪問中の現地)でのあれやこれや…。内容によっては、歌/ウタとのギャップの大きさに面食らっている観客の様子も見受けられた。
切り替えは、はやい。
さいごの一曲、「大事な曲のひとつ」、「心という名の不可解」。錠剤が浮かんでは去り、レントゲン写真が現れては消え、心にまとわりつく虚飾を剥いで核心に斬りこむボーカル。バンドを牽引してきたキーボードも、ここぞとばかりに駆ける。
燃焼し切って白一色となった舞台に浮かぶ、5ピースの影。たくさんあるツアー・グッズの中、マフラータオルのデザインが気になっていた。中央には桂冠に縁取られたAdoの青い薔薇。左右に白黒のチェスの駒が並ぶ。
チェスと蜃気楼の関係とは?
疑問だったのが、ラストのシルエットを目の当たりにして、解消した。
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各Zepp会場の日程毎のセットリストとサポートメンバーは公式には公表されていない模様。西村奈央(バンマス、Key)、高慶CO-K卓史(Gt)、櫻井陸来(B)、髭白健(Dr)の4氏が中心で日程により少しメンバー交代あり。
4 観客とつくりあげた蜃気楼
アンコールを熱望する拍手……
あらためて思う。
『狂言』と『ウタの歌 ONE PIECE FILM RED』という趣の異なる2枚のアルバムを発表した年の、ツアーのセットリストを組むのは簡単ではなかったはずだ。
こう言ってよければ、記録に残る大ヒットにより巨像、スタチューとなったウタを、もともとウタ役の歌唱を担当したAdoは自身の歌唱を再通過させることで、等身大の歌手としてあらためて再生させた。
年末には、1月29日をもって映画上映を終演すると公式にアナウンスされ、作者尾田栄一郎からも、ウタの物語は今回でおしまいで再登場させる予定はない旨の発言がされている。
劇中、ウタは、「父」に再会できた充足感の一方、多くのひとを巻きこんでしでかしたことの重大さを自覚する。自責の念から、「これを飲めばまだ助かる」と父シャンクスの差し出した解毒剤の容器をはねのけて割ってしまう。これは解釈のひとつになるけれど、海賊船に引き取られ、息も絶え絶えに歌を口にしていたウタのその後の活動は考えにくい。
終焉。
だがしかし。
ウタの来し方行く末は、物語であるからこそ、ステージの上で何度も再生させることができる。
『狂言』の曲を割愛してまで、ウタの楽曲をコンサートの約半分にもってくる意味だろう。
「うっせぇわ」で固まったアグレッシブでモノ言うパブリックイメージ、難曲を歌いこなす「歌ってみた」やアルバムのコアなファン、ワンピースのキャラクターであるウタの歌唱への大き過ぎる期待、どれにも敢えて全力で応える。
Adoの非凡さは、「うっせぇわ」にはじまり数々のレコードを打ち立てた自らのサクセス・ストーリーと、ルーツであるボカロ楽曲、そしてウタのストーリーを無理なく溶けこませ、アーティストAdoとして歌いとおすステージングを全うしてみせたところにある。
アンコールを渇望する拍手……
アンコールは大きな影法師となって新生を告げる「新時代」、リズム隊が暴れ回る「逆光」、そして長目のMCが入る。
蜃気楼とは、夢がかなった先にある幻想的な世界をさすという。
8月にさいたまスーパーアリーナでのワンマンライブという一番の夢を実現した後、バーンアウト気味となり、ツアー直前まで葛藤があったこと。
でもかなえた夢はそれで終わりではなく、宝物になるのだと、ふとした時に頭をよぎった。新たな夢を無理に探すのではなく、目の前のライブに集中すればよいのだと。歌うことが好きな自分は、昔の自分が理想としていたAdoとして、これからもステージで歌い続ける、と、言葉を吟味しながら語った。
一緒に幻想的な蜃気楼をつくってくれてありがとう、と。
ー一期一会の交流を大切にする。観客とともに楽しむ。夢は閉じたのではなく、中身はどんどん豊かになるはずだ、という意味に受け取れた。
アンコール3曲目。
赤い光線が放射状にひろがり、やがてトリコロールのパッチワークが心身を躍動させる「踊」。
ツアーのライブは、終始、MCで語られた「幻想的な蜃気楼」だった。
黄昏(たそがれ)に踊るシルエットの歌い手が、暁(あかつき)となっても舞い続けるファンタジックな光景。
その時間は、「たそがれどき(誰そ彼時)」にして「かわたれどき(彼は誰時)」。
ツアーの千秋楽は2023年1月10日。
2017年に活動を始めた記念日。振袖に着替えてのアンコール。ダブルアンコールでは「君の体温」が。
サプライズで発表される夏のツアー、「マーズ」。
ブルーノ?
MARS…。
記念日は、奇しくも、David Bowieの一周忌だったな。
「水星の魔女」も思い浮かぶ。
地球をはさんで対峙する、「火星の生活」…。
そういうリスペクトがあるのか、何がこめられているのか。
「カムパネルラ」から一年。
どんな夏になる。
強行日程だった初ツアーで得たものの証が、そこに。
世界のゆくえを確かめに、風のつづきを聴きに行こう。
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祝 Blu-ray & DVD 発売
『ONE PIECE FILM RED』2023.6.14
『カムパネルラ』2023.6.21