【短編小説】桜の栞
もう少しで列車が駅に着く。高校を卒業して田舎を出る時に利用した駅だ。考えてみるともう12年の月日が経過したのだ。
今は、4月の初旬。新年度で多忙な時期に、田舎に帰る勤め人はあまりいないだろう。実は私も先月までは田舎に帰ることなど考えていなかった。
その私が突然田舎に帰ることを思いついたのは1週間前の3月末。テレビのチャンネルをたまたま変えたところ、田舎の桜が放送されていたのだ。
私の田舎の駅舎を出ると、比較的大きな通りがまっすぐのびている。その通りの両脇に桜が植えられており、この時期になると薄桃色の花びらで化粧された木々が人々の目を楽しませる。私がまだ田舎にいたころから「桜通り」と呼ばれていたその道は、私にとってあまりにも身近すぎる存在だからか特に何かの思いがあるわけでもなかった。しかし、久しぶりに「桜通り」の様子を見た私の胸に、突然、帰りたいという思いが生まれた。これが、郷愁の念というのだろう。
いままで感じたことがなかった田舎への思いは4月になっても変わらなかった。そこで、私は1週間で自分がやるべき仕事を終わらせ、4月の第2週の月曜日、火曜日と年休を取った。今は、自分の仕事をきちんと終わらせていれば、年休を取っても会社から何も言われない。いい時代になったものだ。まあ、本当はこの時期に休むなと言いたい職員や上司もいるかもしれないが、私はこれまで、あまり休みを取ることがなかったのだから、今回くらいは多めに見てくれるだろう。
列車には乗客が数名しかいない。私の田舎の最寄り駅で下車するのは、私くらいなものだろう。都会と違う、そもそも人がいないことからくるこの空気感、10代の頃はこの空気感が嫌だったが、30になった今では、その感覚も違ってきている。
列車が止まった。都会の電車とは違うディーゼルエンジン音が、余計に耳に入ってくる。ドアが開き、誰もいないホームに降り立った。
ホームで空を見上げた。空は雲ひとつなく、冬とは違う青色がそこには広がっている。私は、改札を通り抜け、駅舎の小さな待合室の椅子にリュックを置いた。そして、立ったまま駅の出入り口から見える桜通りを見つめた。外には、満開の桜が見える。胸の奥に何かが広がった。私は、自分以外誰もいない待合室で外に広がる桜の風景を見つめ続けた。
ふと、通りを駅舎の方に歩いてくる2人の女性に気がついた。しきりに二人で話をしているため、じっと見ている私のことを意識してはいないようだ。そろそろ私の存在に気がつくだろうと思う距離になった時、私は、待合室の椅子に置いたリュックを肩にかけて駅舎を出た。ちょうどその時、二人の女性が駅舎の出入り口ではない方向に歩いていくのが見えた。私はふとその二人に視線を向けた。
驚いた。二人の女性のうち一人に見覚えがあった。久仁子だ。正面から見たわけではないが間違いない。高校の同級生。もう一人は私は知らない女性だ。
久仁子は私が高校3年生だったころ、同じクラスにいた女性だ。表面的には単なるクラスメイトだが、私は彼女のことが好きだった。告白しようと思ったこともあったが、ちょうど受験の時期だったこともあり、結局思いを告げられないまま卒業した。卒業後の彼女についてはまるで何も知らなかった。
二人の女性は、駅舎の隣にある、田舎にあるとは思えないくらいおしゃれなカフェに入るようだ。このカフェに来ることは、ここで住む人たちにとっては数少ない非日常なんだろうなと思った。
話しかけようという気持ちはなかったが、同じ空間でコーヒーを飲みたいと思った。私はカフェに入ることにした。
「いらっしゃいませ」
カフェには思いのほか人がいた。4人席のテーブルが10はありそうだ。ほとんど客で埋まっていたが、入り口に一番近いテーブルが空いていたため、私はそこに案内された。
テーブルとテーブルの間はスペースがとってあり、比較的ゆったりとしていた。
私は、カフェの入り口を正面にして座ってしまったため、二人の女性は全く視野に入らない。でも、それでもいいと思った。「懐かしい」という感覚だけを楽しめればそれでよかった。
昼もすぎていたため、私はケーキとコーヒーのセットを注文した。
「久仁子が通っていた高校って、どの辺にあるの?」
私の後ろから、女性の声が聞こえてきた。あの二人は私の後ろのテーブルにいるようだ。やっぱり、あれは久仁子なんだと思った。嬉しかった。
「ここから、歩いて10分くらいかな」
「こんなに綺麗な桜の通りが高校の近くにあるなんていいね」
「そうね。でも、高校のころはこの通りのことなんてまったく意識しなかったよ」
「それはそうかもね」
私の注文をスタッフが持ってきた頃、二人の話題が変わった。私は、特に聞くつもりはなかったが、テーブルが近いこともあり話し声が耳に入ってきた。
「久仁子は、高校の頃、彼氏とかいなかったの?」
「え?私?いなかったわ。田舎だからね。そういうのはなかなか難しいものよ」
「そうなの?うーん。わからないな。でも、好きな人とかはいたんでしょ?」
「そうね・・・。いたわ」
私は、心臓の鼓動が高まるのを感じた。
「どんな人?」
「同じクラスだったかな。『青島裕樹』っていう男子」
私の名前が突然久仁子の口から出てきた。思わず声をあげそうになった。「青島裕樹」は私のことだ。
「その青島って男子に告ったりしなかったの?」
「しないわよ。向こうがどう思ってるかもわかんなかったし」
「普段は話をしたりしてた?」
「してたよ。仲がよかった方かな」
「私からも話しかけるし、青島くんから話しかけてくれることもあったわ」
「2人の関係が何か進展することは全くなかったの?」
「残念だけど、なかったわね・・・。青島くん、今どこにいるんだろうな」
そう言って久仁子は小さなため息をついた。
「もしかして、久仁子ってその青島くんが忘れられないの?」
「え?」
「だって、全然男っ気ないよね。会社でも結構有名よ」
「まったく。私のことなんてどうでもいいでしょうに」
「久仁子はそういうけど、久仁子のことが良いっていう男もいるんだよ」
「そう。ありがたいけど、会社の人はちょっとね・・・」
「その青島って人を探せばいいじゃん」
「どこにいるかわからないの。青島くんの実家も引越ししてしまったから、青島くんはここに帰ってくることはなくなったの。青島くんの友達にそれとなく聞いても、わからなかった」
「そう」
「諦めないといけないことは、わかってるんだけどね」
私は、注文したコーヒーとケーキに口をつけることができなくなった。久仁子がそんな気持ちを持っていたとはまったく思ってなかった。今すぐ、立ち上がって、久仁子に声をかけたいと思った。でも、できなかった。私は、ずっと久仁子のことを忘れることができなかった。久仁子は今頃どこで何をしているのだろうと思ったことは1度や2度じゃない。私は、ずっと久仁子のことを好きだったのだと思う。高校卒業後も、良いなと思った女性はいた。しかし、付き合いたいと思うところまで考えられる女性はいなかった。
「そろそろいこうか」
久仁子の言葉で、二人は席を立った。立ち上がって声をかけたい。そう思った。ここで別れてしまったらもう永遠に会えないかもしれない。しかし、私は、下を向いているだけで何もできなかった。
「ありがとうございます」
スタッフが、支払いを終わらせ店を出ていこうとしている二人に頭を下げた。
私は、気持ちを落ち着かせるためにコーヒーを口に含んだ。
「終わったな」
私はつぶやいた。
※
私は、ケーキに手をつけず、コーヒーを飲んだだけで支払いをし、カフェの外に出た。
少し、桜通りを歩こうと思った。少し強い風が吹き、桜の木から飛び立った花びらが辺りを染めた。
久仁子はどこに行ったのだろう。久仁子への「想い」が頭から離れなくなった。やはり声をかけておけばよかった。悔いばかりが残る。
私は歩き始めた。右手にある駅舎に人が入って行ったようだ。話声が聞こえたような気がした。人の利用が少ない駅だが、この駅から旅立つ人もいるだろう。久仁子も去っていったのだろう。
私は、桜の道の歩道を歩き始めた。少しひんやりとした風が今の私には心地よい。
「青島くん」
自分の名前を呼ばれた気がした。私は振り返った。
「青島くんよね」
そこには久仁子がいた。駅から走ってきたのか息を切らしている。
「久仁子・・・」
「よかった。やっと会えた。探したんだからね」
涙声の久仁子が少し怒ったように言った。
「ごめんな。久仁子、ほんとごめんな」
私は、久仁子に近づき、そして見つめた。
久仁子も、私を見つめていた。
少し強めの風が吹いた。
花びらが二人の周りをクルクルと舞った。まるで二人祝福するように。
(終わり)
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