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【短編小説】今日は「愛妻感謝の日」
「烏丸君。プロジェクトの成功おめでとう。ご苦労だった」
職場での慰労会の冒頭、課長の第一声が室内に響いた。プロジェクトのメンバーから大きな拍手が起こった。
「課長、ありがとうございます。頑張ってくれたメンバーも本当にありがとう。感謝している」
プロジェクトリーダーの烏丸信也は課長とメンバーそれぞれに頭を下げた。
「烏丸君は、マネジメントだけじゃなく、一担当としての仕事も担ってくれた。この2年間、毎日のように遅くまで残業していたのは知っている。本当に感謝している。君の貢献に対する会社の評価は高い。今度の人事は期待してくれていい」
人をほめることなんてないと思っていた課長からの言葉に、烏丸は内心戸惑っていた。
「いえ。課長に上層部とうまく調整していただいたからこそ、私たちが思う存分仕事ができたんです。私たちこそ課長に感謝しています」
烏丸は、課長への感謝も忘れなかったが、内心ではプロジェクト成功の大部分は自身の頑張りによるものだと思っていた。
(2年間、全てを犠牲にして仕事を頑張った。昇格も間違いないだろう)
烏丸の高揚感は最高潮に達していた。
「烏丸君。奥さんにもよろしく言っておいてくれ。この2年間、家庭に迷惑をかけたと」
「はい。ありがとうございます。課長。妻も喜びます」
課長の妻に対するねぎらいの言葉に驚くとともに、かすかに胸が痛んだ。
この2年間、家のこと子どものことはほとんど妻に任せっきりだった。妻も働いているのにだ。それでも、妻は文句ひとつ言うこともなく、家事も子供の世話もやってくれた。烏丸は、心から妻に感謝していた。
「烏丸君。慰労会の途中に言うのもおかしいが、今日は、早く家に帰りなさい。さっき、たまたまネットを見て知ったのだが、今日、1月31日は『愛妻感謝の日』だそうだ。ケーキでも花束でもいいから買って帰って、感謝の気持ちを伝えたほうがいいぞ。」
「そうなんですか。今日はそんな日なんですね・・・。ありがとうございます。そうさせてもらいます」
烏丸は再び課長に頭を下げた。
※
「ただいま」
烏丸がキッチンにいる妻に声をかけた。
「あら、今日は早いわね」
「ああ。プロジェクトが完全に終わったんだ。課長がお前によろしく伝えてくれと言っていた」
「あらそう。プロジェクト終わってよかったわね」
「ああ、この2年間大変だったが、成功で終わってよかったよ。お前にも苦労かけたよ」
「あなたが満足する結果で終わってよかったじゃない」
烏丸の妻はキッチンで家事をしながら答えた。
「今日は、ケーキを買ってきた」
烏丸がケーキを持ち上げて妻に見せた。
「ありがとう」
「それと、何か欲しいものはないかな。今回の成功で俺も出世できると思う」
「特に欲しいものはないわ」
「そうなのか?何か俺にしてほしいものでもいいぞ」
「そうね・・・。なら・・・」
そう言って、妻は、リビングに置いてある自分のビジネスバッグから何かを取り出し、烏丸に差し出した。
「なんだ。旅行とかそういうのか?」
「違うわ。離婚届。これに署名捺印してほしいの。それが一番の私へのねぎらいよ」
(終わり)