【短編小説】法廷内の「事実」
「山口剛士さん。あなたは、被害者が殺害された時間に、被告人須崎章が犯行場所以外にいたということを証言するためにここにいるのですよね」
被告人側弁護士が静かな口調で尋ねた。
「はい。そのとおりです」
山口は、緊張した面持ちで、少し低めの声で弁護士の質問に答えた。
山口は、地方裁判所法廷の証言台に立っている。白のワイシャツに紺色のネクタイ、黒に近いブル―の上下のスーツ、黒の革靴。着ているものだけを聞けば、サラリーマンに思うだろう。しかし、山口のスーツ姿を見た人は皆、普段、スーツを着慣れていないと感じることだろう。
「失礼ながらあなたは、普段、スーツを着ることはないのですよね」
「はい」
「いつもはくだけた感じですよね。もっと具体的に言うと、堅気には見えない服装ですね」
「はい」
「どうして、今日はそのようなスーツを着て証人尋問に臨んでいるのですか?」
「須崎・・・、いや、被告人が無罪であることをみんなにわかってもらえるように、精一杯がんばりました。俺は、信用されないことが多いから、どうしたらいいかと考えて、せめて格好はと・・・」
「あなたは、そこまで考えて準備をし、この場に臨んでいるということですね」
「はい」
「裁判官と裁判員の皆さん。証言の前に彼がどのような心持で証言台に立っているか理解してくださるようお願いします。
それでは、質問していきます。私の質問に端的に答えてください。わからないことはわからないと答えていただいて結構です」
「はい」
被告人側弁護士は、山口に対して淡々と、被告人のアリバイについて質問していった。山口に対する主尋問は20分程度で終わった。
次は検察官が行う反対尋問だ。
「山口さん。あなたの証言の本気度はそのスーツ姿からもわかります。あなたは事実のみをお話しされていると理解していいですね」
検察官が穏やかな口調で質問を始めた。
「ああ。いや、はい」
山口は、検察官に対する敵対心が口調に出てしまった。
「いいんですよ。口調は気にしないでいいです。
では、まず最初の質問です。あなたは、殺害場所と私たちが主張している場所以外で被告人をみかけたと証言されましたね。あなたと被告人の距離はどれくらいはなれていましたか」
「そんな近くではなかったです。どれくらいだろう」
「大体でいいですよ」
「10メートルくらいでしょうか」
「なるほど。あなたの視力はどれくらいですか」
「私ですか?どれくらいだろう。40歳を過ぎて目も悪くなったからな」
「はっきりと被告人の姿は見えましたか?」
「はっきりとと言われるとそれは自信はありません。ただ、あいつとは長い付き合いなのでシルエットでわかると思います」
「あいつというのは被告人の事ですよね」
「あ、はい。そうです。すみません」
「いえ。大丈夫ですよ。
ところで、確認ですが、私たちが犯行時刻だと主張している12月1日の18時に被告人が犯行場所から二駅離れている繁華街にいたというのがあなたの証言ですね」
「はい」
「ちょっと話がそれますが、同時間の犯行場所に、被告人の妻である、須崎恵子さんがいらっしゃったという証言があるのですが、あなたはその恵子さんを見ましたか」
「恵子・・?なんで・・・」
山口が分かりやすく動揺し始めた。
「今、恵子と呼ばれましたが、なぜその呼び方をされるのですか?あなたの妻ではないですよね」
検察官は変わらず柔らかな口調で質問を続けた。
「む、昔は、おれの女だったんだ」
「なるほど。昔は山口さんとお付き合いされていた」
「そうだよ」
「でも、それは昔のことで、今は被告人の妻ですよね」
「ああ」
「男女間のことですから、いろいろありますよね。円満にわかれたのでしょうね」
「ちがうよ!須崎が恵子を俺からとっていったんだ!」
山口の声が大きくなる。
「落ち着いてください。昔のことですよ。そういうことも男女間ではありますよね」
「俺が知らないうちに、恵子をとっていったんだ」
「何年も前のことですからね。落ち着いて。あなたにとっても昔の事になっているでしょうに」
「いや!今でも恨んでいるよ!このくそ野郎がおれの恵子を・・・」
山口は目を大きく開いて、被告人席側に座っている須崎を見ながら言った。
「あなたは、今日、須崎さんのためにここにいるのですよ」
あくまでも柔らかい口調で検察官は諭した。
「くそ。思い出したら頭にきた。もういいわ。
裁判長、私は証言を撤回する。須崎なんて見てねえよ」
「以上です。裁判長」
検察官はそう言って、席に戻った。
(終わり)
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