【短編小説】 時を超えた約束(2970文字)
私は、この街で生まれ育った。幼い頃から、中央広場にそびえ立つ大きな時計塔に魅了されていた。その美しさと、刻一刻と時を刻む姿に、言葉にできない感動を覚えたものだ。
そんな私は、時計塔の修理係として働くようになった。毎日、塔の頂上まで登り、時計塔の調整を行う。歯車の油を差し、時の流れを正しく保つ。単調な仕事のように見えるだろう。しかし、時計塔はその日の気温、湿度、天気によって時計塔を動かす部品の細かい動きが異なる。それを五感の全てをつかって感じ取り、正確な時を刻むように調整するのだ。こんなに面白い仕事はないと思っている。
※
修理係として働き始めた頃、私には美香という恋人がいた。美香は高校を卒業して小さな工場で働いていた。上品な佇まいの美香は、ずっと私の憧れの存在だった。二人で時計塔の前を散歩するのが何よりの楽しみだった。
「ねえ、この時計塔って、どれくらい昔からあるの?」
ある日、美香が不思議そうに尋ねた。
「そうだね、50年以上は経っている。この街のシンボルなんだ」
私は時計塔の歴史について語った。
「50年も...。この塔は、どんな物語を見てきたのかしら。喜びも、悲しみも、たくさんの思い出が詰まっているのね」
美香は感慨深げに言う。
「そうだね。たくさんの人々の人生を、見守ってきたんだよ」
私たちの仲は少しずつ深まっていった。
美香の優しさと温かさに、私は心を奪われた。
彼女と一緒にいると、何だか世界が輝いて見える。
しかし、私たちは離れ離れになってしまった。美香が働いていた工場が閉鎖となってしまったのだ。美香は解雇にはならなかったが、同じ会社の別の工場に異動となったのだ。その工場はこの街からはとても遠かった。美香と結婚できればよかったのだが、私はまだ修理係として一人前ではなく、美香を養っていくだけの経済力がまだなかった。美香が引越しする前日、二人は時計塔の前で約束した。
「手紙書くわ。電話もする。でも、あなたと会いたい・・・」
美香の声は涙で震えていた。
「早く一人前になって美香を迎えに行くよ。それまで待ってくれ」
「うん。でも、早くあなたに会いたい。ねえ。来年の今日、3月23日のお昼、この時計塔の前で待合せしましょう」
「いいのか。次の工場からここまでかなり遠いぞ」
「ええ。いいの。あなたと会えるならどんなに遠くても行くわ」
「わかった。来年の今日のお昼だな。約束だ」
若い2人は、抱きしめ合い、約束を交わした。
※
それから、私は時計修理の仕事に打ち込んだ。上司の下で見習いから抜け出すよう励んだ。
私は、毎日の作業の中で、塔の上から街を見下ろし、美香との約束を思い出していた。
美香と私は手紙をやり取りし、時には電話でも話をした。離れ離れになっているという状況は、二人の気持ちをさらに強くしていく。
彼女は今頃どうしているだろう。元気にしているだろうか。
遠く離れた地で、同じ空を見上げているのだろうか。
私は、美香との約束を心の支えとして、毎日を過ごしていた。美香もそうだった。
※
そして、約束の3月23日がやってきた。私は上司に頭を下げて休みをもらった。
私は興奮と緊張で胸を膨らませ、早めに時計塔に向かった。
11時半には塔の前に着いた。しかし、私は愕然とした。時計塔が11時で止まっていた。
必死で駆け上がり、上司と共に修理を試みる。しかし、動かない原因がわからない。時計塔はかなり複雑な仕組みになっていて、構成する部品も膨大だ。二人で一つずつ確認していくだけでも膨大な時間がかかる。時計塔が、約束の時を拒んでいるかのようだ。
私は、修理に集中した。後で中央広場で何か事件が起こったと聞いたが、その時の私は時計の修理に集中してしまった。そして気がつくと約束の時間を大幅に過ぎ、午後2時になっていた。上司に少しだけ時間をもらって広場に降りた。いくら探しても美香はいなかった。
「美香、ごめん...」
私は絶望に打ちひしがれた。
こんなはずではなかった。
二人の約束の日なのに。どんなに美香を悲しませただろう。私はそのまま時計塔に戻っていった。時計塔の針が正常に動いたのは2日後だった。
私は、修理作業が続く中、約束の日の翌日、美香に電話をした。美香は電話に出なかった。謝罪の手紙も何度も書いた。しかし、返事はなかった。途中から送った手紙が返ってくるようになった。
彼女から教えてもらっていた住所を尋ねたこともあった。しかし、もう彼女はそこにいなかった。隣部屋の住人に美香のことを聞いてみたが、ある日美香の親が部屋を引き払ったようだった。
1年経っても美香と連絡が取れなかった。美香の実家に電話をしたが、使われていない電話になっていた。
私は、美香を忘れようとしたが、私の心から美香を消すことはできなかった。
※
そして、10年が過ぎた。今日は3月23日。特別な日だ。
私も30歳を過ぎた。修理係の責任者として部下を持つようになった。美香との約束の日からずっと一人で生きてきた。
私は、約束の時間ちょうどの12時に中央広場から時計塔を見上げた。
美香のことが頭に浮かんだ。目尻から何かがこぼれ落ちた。あの時、私はどうすればよかっただろうか。もっと早く美香のことに気がついたら・・・。今まで何回も繰り返した言葉を反芻した。
「ん?」
今、時計の長針が変な動きをしたように見えた。目が霞んで見間違えたのだろうか。
いや、違う。長針が逆回転しはじめている。だんだんとスピードが早くなる。
私の周りが、まるでビデオを高速で逆再生しているように動いている。中央広場を囲む建物や人々の洋服、自動車がどんどん昔みたものに変わっていく。昼、夜、昼と1日が高速で繰り返している。これはいったいどういうことだろう。
私は、驚き戸惑いながらも何をすることもできない。
どれくらい経ったかわからないが、突然、周りの動きが止まり、普通の時間の流れとなった。
私は、周りを見回した。時計塔が心なしか綺麗になっているように見える。時計塔の時刻は12時だ。
「聡」
私を呼ぶ声がする。聞き覚えのある声、長い間待ち焦がれていた声。私は振り返った。
私の目の前には、スプリングコートを着た美香がいた。
「美香...」
私は震える声で呼びかける。
「聡」
美香の声も震えている。
「まっていてくれたんだね。ありがとう」
涙声で言う美香に、私は駆け寄り、抱きしめた。
「そんなことない。そんなことない。来てくれてありがとう」
私たちは、周りの目もはばからず抱きしめ合った。
「聡、みんな見てるよ」
2、3分経っただろうか、美香が恥ずかしそうに言った。
「ごめん」
私は、抱いていた腕を解き、美香から少し離れた。
二人は照れながら見つめ合った。
その時、私の右斜め前で何かが動いた。見ると、目つきがおかしい男が、刃物のようなものを持って美香に近づいてきた。
「危ない!」
私は、美香と男の間に割って入った。鋭い痛みが腹部にはしった。
悲鳴があたりに響く。
私は、ゆっくり倒れた。
「聡、聡」
美香が私を抱いて、半狂乱で声をかける。
「そうか。そうだったんだ・・・。だから、美香はいなかったんだ。だから、美香と連絡が取れなくなったんだ・・・」
「聡、しっかりして。お願い」
「いいんだ。美香。美香を守れてよかった。本当によかった。美香、幸せにな・・・」
私の意識がゆっくりと消えていった。
(終わり)
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