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【短編小説】讃美歌35番
スコープの向こう側で、ターゲットの眉間に赤黒い穴が現れた。
「西郷だ。成功だ」
西郷はヘッドセットで後方支援の東島に仕事の完了を伝えた。
「承知しました。すぐに撤収してください。ビル正面玄関の横の通りにバンを停めてあります」
「了解」
※
西郷は、海外での長い傭兵経験を生かして要人等の狙撃を金で請け負うスナイパーだ。
傭兵派遣のセキュリティ会社に所属し、会社の指示で狙撃を行ってきた。
「西郷さんのうちでの仕事はこれで最後ですね」
狙撃現場から会社に戻ってきた西郷に、スナイパー後方支援担当の水島が声をかけた。
「ああ。これからは、フリーランスとして一匹狼でやっていくよ」
西郷は、控室にある椅子を東島に勧めた。
「ありがとうございいます。それで、西郷さんは、すぐに仕事を始めるつもりですか」
「ああ、そのつもりだ。俺がこの会社を辞めることはすぐに噂が広まるからな。いつでも仕事を受けられるようにしておくことが、仕事を繋げることになる。地道にやっていくしかない」
「そうですよね。ところで、西郷さんへの仕事依頼はどうやればいいんですかね。私が伺っておけば、問い合わせがあったら答えますよ」
「いいのか?俺はこれから商売敵になるんだぞ?」
「社長から西郷さんの力になってやってくれと言われてますから。うちの会社がここまで大きくなったのは西郷さんのおかげだとわかってますからね。かなり無理な働かせかたをしたから、休んでもらいたいらしいです」
「そうか。それはありがたいな…。感謝するよ」
「なんでも言ってください」
「じゃあ、連絡の仕方を教えるから、仕事の問合せがあったら、伝えてもらえるか」
「承知しました。それでは、連絡方法を教えてください」
東島はノートを拡げてメモを取る用意をした。
「まず、網走刑務所に無期懲役の囚人がいるんだ。名前は、とます、もんご。漢字は、『苫巣 紋吾』、だ。
この囚人に文面は何でもいいから、ハガキを出してくれればいい。この囚人は昔から知り合いでな。いろいろと差し入れもして、こちらのいうとおりにしてくれることになっている」
「これって、どこかで…。」
「ん?なんか言ったか?」
「あ、いえ、なんでもないです。どうぞ」
「そうすると、苫巣は、KDBラジオの『宗教のともしび』に讃美歌のリクエストはがきをだす。毎朝6時から流れている番組だ。水曜日に曲のリクエストコーナーがある。リクエストする曲は讃美歌は35番だ」
「讃美歌は13番じゃないのですか」
「それはダメだな。その番号を使っていいのは、通称にその番号が入っている、例の人だけだ」
「あー。なるほど。『サーティーン』ですね」
「おい、口にしてはだめだぞ」
「これはすみません。しかし、リクエストを出しただけで讃美歌がかかりますかね」
「KDBラジオの人間と話をつけてある。宗教の番組だが、リクエストされたらなんでもかけるコーナーらしいから、讃美歌は全く問題がない。網走刑務所の『苫巣』からのリクエストは最優先にしてくれと言ってあるから大丈夫だ」
「なるほど。用意周到ですね。それで、讃美歌35番がラジオで流れたら西郷さんはどうするんですか」
「讃美歌が流れたら、俺が毎朝新聞に『35型トラクター商談に応じる』という広告を出す。その広告の電話番号にかけてもらえば俺が電話にでるという流れだ」
「わかりました。問合せがあったら答えておきますね。ほかにはありますか」
「それだけで十分だ。ありがとう」
※
あくる日、西郷に東島から電話があった。
「西郷さん。さっそく、問い合わせが来ましたよ」
「おお。そうか。びっくりだな。辞めた人間に仕事を頼むためにそちらに問い合わせるというのは不思議なものだな」
「まあ、狙撃が仕事ですからね。うちの会社も西郷さんがいなくなったら、そっちには手を出しづらいし」
「まあ、そうだな。俺の手に負えない仕事はそちらに回すよ」
「ありがとうございます。社長も喜びます」
「で、問い合せてきた人間は、俺に連絡するって?」
「はい。そう言ってました。今日は火曜日ですから、来週の水曜日には讃美歌35番が流れるかもしれませんね」
「おう。ありがとう」
※
翌週の水曜日の早朝。「宗教のともしび」が朝6時から始まった。西郷は、スマフォのラジオアプリで聴いている。
西郷にとってフリーランスになって初めての仕事だ。この仕事は受けておきたいと思った。きちんと仕事をして、依頼人の期待にこたえ続ければ、狙撃に失敗することがないスナイパーという評判が広まり、仕事に困らないだろう。最初が肝心だ。
西郷には、網走刑務所の看守から苫巣が宗教の歌をリクエストするはがきを送ったようだという連絡もあった。
「さて、週に1回のリクエストのコーナーです」
西郷はスマフォのボリュームを少し上げた。
「今週は、網走刑務所の方からのリクエストです。ペンネームなのかな?『とます』さんから。
『おはようございます。毎日刑務所で唱えているのですが、一度、正式に唱えられているものを聞きたくてお手紙しました。どうぞよろしくお願いします』
という『おはがき』でした。なかなか珍しいリクエストですし、曲といえるかどうかはわかりませんが、『宗教のともしび』ですから大丈夫としましょう」
「苫巣、上出来だな」
西郷がつぶやいた。
「それでは、皆さんお聞きください『般若心経』」
(終わり)