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【短編小説】休憩-ささやかな恋心-
午前10時過ぎ。
いつものように日野純雄は休憩室でカップ式自動販売機の前に立つ。
休憩室には、カップ式自動販売機のほか、ペットボトル、缶の自動販売機が設置してあるが、日野はいつもカップ式だ。
硬貨を何枚か投入し、レギュラーコーヒーのボタンを押す。豆を挽く音がする。
誰もいない休憩室に、抽出完了の音が鳴る。
カップを取り、休憩室にあるテーブルの椅子に座る。
休憩室にあるテーブルは大きめの長方形だ。テーブルの周りには10脚の椅子が置いてある。
日野は入口に近い、テーブルの長い側に置いてある椅子に座った。
仕事はまだ1時間半しか経っていないが、この時間になるとなんとなく一休みしたくなる。
職員がここで休憩を取ることについて、会社はとくに制限していない。
ここでのディスカッションから、ビジネスのいいアイデアがでたという実績があったため、会社はここでの休憩を推奨しているようにもみえる。
昔は一台もなかった自動販売機が、この1年で一気に増えたのが証拠だ。
日野が、カップに入ったコーヒーをゆっくり楽しみながら、スマフォを見ていた。
すると女性が一人休憩室に入ってきた。
女性はペットボトルのミネラルウォーターを買った。そして、日野の斜め前の辺りの椅子に座った。
日野にとって、その女性を見かけるのは初めてではない。
年齢は、26歳の日野と同じくらいだろうか。若い女性である。
この1か月くらいだろうか、日野がこの時間に休憩室で休んでいると、よくやってくるようになった。
ただ、日野は、彼女がどこの部署の職員なのかは知らなかった。
その女性は、いつもミネラルウォーターを買って、日野の近くに座り、ペットボトルの水をすべて飲んだあと、席を立って帰っていく。休憩室での滞在時間は、30分くらいだろうか。
女性は、少しずつ水を飲みながら、時折、日野の方をちらっとみている。
日野も時々、不自然にならないように視線をそちらに向けた。
二人は、それ以上、相手に対してアクションを起こすことはない。
最近は、毎回こんな感じで時間が経過し、女性が先に席を立つことが多い。
日野は今日もそうなるかと思っていた。
いつも、何か話しかけるかと思いはするのだが、こちらから何か話しかけるといっても、今さらのような気がしてやめた。その女性から不信感を抱かれるのも避けたい。
女性が、席を立とうとした。その時、テーブルに置いてあったミネラルウォーターのボトルを取りそこね、倒してしまった。
その女性は、今日に限って全てを飲んでなかったため、ボトルにまだ残っていた水をテーブルにぶちまけてしまった。彼女のスカートも水で濡れてしまった。
「あっ」
小さい悲鳴が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
日野は、椅子から立ち上がり、女性のところに行き、持っていたハンカチを女性に差し出した。
「ありがとうございます。」
女性は、日野のハンカチを受け取り、スカートを拭いた。
「あ、ごめんなさい。私もハンカチ持っているのに。」
日野には、彼女が軽くパニックになっているように見えた。
「あ、気にしないでください。使ってもらうために渡したのですから。」
日野は彼女をみて微笑みながら言った。
「ミネラルウォーターでよかったですよ。そうじゃないとあなたのスーツが大変でした。」
「そうですよね。私ったら、おっちょこちょいで。。」
女性は恥ずかしそうに下を向く。
「そんなことないですよ。私もやってしまうことですよ。」
日野はそう言ったあと、話題を変えた。
「そういえば、よく、この休憩室でお目にかかりますね。どちらの部署なのですか?」
「私は、広告第一課なんです。」
女性が答える。
「私は、企画室の日野といいます。」
日野の方から名前を言った。
「私は、末広真鈴といいます。」
真鈴は、日野が聞く前に、自分から名前を言った。
「初めてお話しできましたね。この1か月くらい良くいらしゃるなっておもってました。」
日野が言う。
「はい。私も、あなたのこと気がついてました。」
そう言った後、美鈴は満面の笑みを浮かべて、日野に言った。
「日野さんのハンカチ、洗ってお返ししますね。」
そのまま渡してもらえばいいと思っていた日野は、少し驚いたように言った。
「え?」
美鈴は真剣な眼差しで日野の目をまっすぐ見る。そして言った。
「えっと、日野さんに直接会って渡したいです。もしよかったら私と食事に行ってくれませんか。」
日野は答えた。
「はい。ぜひ行きましょう。でも、その前に、今日のお昼も一緒にいきませんか?」
(おわり)