国債暴落は評価経済社会を開始させる
お金の価値が暴落したら、国債が下がり銀行がつぶれ預金がなくなり円安になって、国外から輸入するものが高くなる。
お金(預金)がなくなってしまって、お金に対する信用がなくなり、お金を貯めるモチベーションがなくなり、お金を積まれても売りたくない人には売らない世の中になってしまうとしよう。
大企業もどんどんつぶれ、企業のために働く、安定のために企業に奉仕するモチベーションもなくなり、それより、誰かのために何かすることで、誰かから好かれることで、必要なものを得られるように頑張る世の中になったとしよう。
世の中はロボットとITがほとんどのことをやってくれて、自分が世の中に貢献できる仕事なんかほとんどなくなったとしよう。
どうなるか。
人はお金のためではなく、人を喜ばすことに価値を見出し、人は誰に喜ばせてもらったかをカウントするようになり、友達が誰かに喜ばせてもらったことを聞いて、その誰かを喜ばせたいと思うようになるだろう。
きっとITは誰が誰をどれだけ喜ばせたかを可視化して、世の中でどれだけその人が幸せを作っているかをランキングするようになるだろう。
それを評価経済社会と呼ぶのではないだろうか。