「非日常」を教育の機会に変える感覚
ちょうど一週間前に千葉県の船橋市にいました。
TOSS冬合宿2025に参加するためです。
全国から200名の先生たちが、研修施設に集まり、1泊2日、授業や教育のことをずーっと勉強します。
模擬授業、講座、対談などが2日間行われます。
夕食時のパーティーでも全国の方と情報交流です。
その後は、プレインストーミング、ブレストです。
飲んだり食べたりしながら、
2日間、びっしりと教育の話をし続けます。
旅費も参加費も自腹です。
でも毎年、冬休みの最終コーナーに飛行機に乗り、津軽海峡を越えて、学びに出かけます。
もう若い頃から参加して10年以上になるでしょうか。
どうして、そこまで参加するのか。
それは
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非日常の空間で学べるから
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です。
圧倒的な熟練者の先生たちから
全国で果敢に実践されている先生たちから、
普段、滅多に会えない先生たちから
2日間、熱を持って話し、語り、学び合える空間は「日常」では体験できません。
まさに「非日常」です。
先週の谷先生のメルマガでも、ちょうど
「非日常」の空間の学びの大切さについて書かれていて、改めて、このことの大切さを実感しました。
┌<引用>────────────────
一日だけの「非日常」の体験
↑↓
何日も続く「日常」の体験
この2つの組み立ては違ってくるのですね。
雪が日常になればなるほど、その対応を「労働」として認識させる要素が必要になるのでしょう。
「非日常」を教育の機会に変える。
そうした感覚を教師として持ち続けたいなと思います。
【谷和樹の教育新宝島】vol.58 Part1 | 2025年1月10日発行
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谷先生が書かれている
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「非日常」を教育の機会に変える感覚
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というフレーズが胸に響きます。
そして、
この「感覚」を持つためには、まず教師自身が「非日常」で学ぶ経験が
必要なんじゃないかと思うのです。
「非日常」で学ぶだけでも「感覚」は持てると思います。
ただ、「非日常」で学ぶと「日常」がかすかに変化します。
「非日常」から「日常」に持ち帰った「何か」が
時々、何かの拍子にチカチカっと「点滅」するのです。
「夜更けに、部屋で膝を突き合わせ、車座で聞いた尊敬する先生の言葉」
「自分の授業へかけていただいた、あたたかくも、厳しい言葉」
「合宿の最終公演でお聞きした向山先生の子供たちへの言葉」
その空間で
その温度で、
その雰囲気で、持ち帰った「何か」は
「日常」の中でも、ふとした拍子に「点滅」するのです。
「そうか、あの言葉の意味は、こういう意味もあったのかもしれない」
「そうか!こうすれば自分の授業を改善できるかもしれない」
「ああ、向山先生の言葉を知っていて良かった」
この「点滅」のありがたさ、大切さを身を持って実感しているから
教師は
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「非日常」を教育の機会に変える感覚
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を持てるのだと私は思っています。
TOSS冬合宿を準備してくださった事務局の皆様に
心より感謝いたします。
メルマガのVol.58では、
向山先生が現役の頃の「非日常」を「教育の機会に変える」実践が紹介されています。
それは
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東京での大雪
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です。
私のように北海道に住む人間にとっては、当たり前の「雪」でも
東京では「非日常」になるのです。
しかも、今回のメルマガで紹介されている
1984年1月の東京は、「ドンドン」「ダダー」という感じで
ガンガン積もったと言います。
この「大雪」を向山先生が勤務していた調布大塚小学校では
どのように「教育の機会」に変えていったのか。
向山先生は、どのように担任していた一年生に授業していったのか。
「雪そのものを、その場で教材化する」
「授業の瞬発力」
「感覚」だけではない、熟達した授業力があるからこそ、「教育の機会」に変えることができるのだと思いました。
当時の資料と、谷先生の解説で、今回も大きな学びを得ることができました。
「大雪」で「非日常」と言えば、私にも忘れられない思い出がいくつもあります。
私が住む「道東」は、「大雪」よりも「暴風雪」が怖いのです。
下の動画は、私が別な場所で撮影した動画ですが、このレベルの暴風雪が、道東エリアには起こります。
学校にいる間、「暴風雪」になった時は、集団下校が行われます。
「日常」から「非日常」に切り替わります。
猛吹雪の中、教師を先頭に身を寄せ合い下校します。
下校中、ホワイトアウトになったこともあります。
「教育の機会」としていたかどうかは分かりません。
しかし、次のようなことは体験していたと思います。
「自然の猛威の恐ろしさ」
「自然の中で生きるということ」
「身を守るための術」
私はこのような自然のそばで教師をしています。
その自然が時折、呼び起こす
「非日常」の中で、子供たちの安全と安心を保障し、どう教育に生かしていくか。
そのことを改めて考えるメルマガからの学びでした。