似非脚本家反省記②~プロットから逃げるな~
どうも、とったんです。
さて、不定期企画として(安定した企画なんてなかったけど)始めたこの「似非脚本家」シリーズですが、モチベが続いたのでさっそくパート2です。
今回は「プロットから逃げるな」と題しまして、プロット作りの話をします。
まあ、noteに記事を書くときも話の構成とかあまり考えずに書くタイプなので、その辺はご了承ください。
あと、今回から試験的に有料にしてみました。
拝金主義に目覚めてしまうとは嘆かわしや…。
こんな内容で有料?と思う人もいますが、
世の中には、ナンパテクだのの怪しげな記事に何千円と値段を付けてるところもあるので、
それと比べればましでしょう。
・そもそもプロットとは
プロットプロットって、そもそもプロットってなんなんだよという人もいると思うので簡単に説明しよう。
プロットとは、物語の道筋のことである。
始まりがこうで、途中何かが起こって、最終的にこうなる、という物語の流れの順序を簡潔に書いたものである。
どれくらい詳細に書くかは個人差がある。
基本、書く当事者が分かればよいからね。
この時点で思い付いている、もしくは言わせたいセリフを書いたりもする。
・プロットを書く意義=迷走させない
プロットを書くのには理由がある。
それは物語を迷走させないためだ。
週刊連載形式のように(皆がそうではないだろうけど)、その場で展開を考える人がいる。ぼくがそうだ。
頭の中には一応ざっくりとした設計図があるつもりなのだが、展開につまることがある。
というのも、物語は生き物なのである。
いきなり抽象的なことを言ったが、創作をしたことのある人間なら共感できるはずだ(と信じている)。
作っている途中で様々なアイデアが浮かんできて、
こっちの方が面白いんじゃないか?
と前もって決めていたプランから外れてしまうことがある。
創作者とはその場の思いつきをありがたがる人間である。無から有を作り出した快感に身を委ね、思いっきり脱線する。
そうして出来上がってから数日たって見直すと、
なぜか面白くない。それどころか邪魔になっていることもある。
全部がそうとは言えないが、こういったことを未然に防ぐためにプロットを作っておくのである。
あらかじめプロットを作っておくことで、浮かんできたアイデアと比較したり、展開の見直しができるのだ。
・なぜプロットを書かないのか
そんなメリットがあるプロットをなぜ書かないのか。言い訳に等しいが、いくつか症例を挙げていこう。
①そもそも書くのがめんどくさい
元も子もない話であるが、プロットを書くことはめんどくさい。
基本的に事実の列挙であり、一人で淡々とやってても気が滅入る。
②プロットを書き終えた時点で満足してしまう
物語の設計図部分でしかないプロットだが、そのめんどくさい作業ゆえに、終わった後に創作意欲が萎えてしまう。
③先の展開が分かってしまう
ぼくは脚本家であると同時に読者である。
そのため、物語の展開が分かっていると途端につまらなく感じる。とったんだけに。
以上のような原因でプロット作業を投げてしまう。
脚本家の醍醐味といえるセリフ作りの方がやってて楽しいというのもある。セリフは、息を吐くように浮かんでくる。柱書き(シーンの動作などの注釈のようなもの)もあまり書かないし。
・解決策
さて、根本的なプロット作るのめんどくさい問題だが、解決策の一つとして、プロット作業を複数人で行うとよいのではなかろうか。
というか、脚本という作業は基本的に孤独である。
そのためか、内容が独りよがりになりがちである。
アイデアをパクられる、などと気にしていても仕方ない。数千年の歴史の中に数えきれない物語があるわけで、直近の似たモチーフ以外なら基本問題ないはずだ。
どうせパッと思い付いた程度の話なんて他の誰かがとっくに思い付いているのだ。
誰かに見てもらうことは必要だ。
それに自分では思い付かないことでも、
他人ならすぐ思い付くこともある。
何だか珍しく綺麗事で閉めちゃったなぁ。
ま、とにかく
プロットから、逃げるな。
更新頻度は低いですが、サポートしていただけると生活が少しばかり潤いますので、更新頻度も上がるでしょう。