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#9 祭りのあと、天竺に魂をしずめて

きみは魂を沈めるのか、鎮めるのか。それとも静めるのか。

心は硝子(ガラス)の器にあふれる濁り水のようなもので。

そっと静かに置いておけば、水を濁らせていた泥は器の底に沈んで、きみの落ち着かぬ心はやがて鎮められてゆき、少しずつ透き通り、いつの間にか澄み渡り、そして体の隅々までも良気が満ち渡る、そうだ、しみじみと高気が冴え拡がる。

扉の向こう、窓の向こうには、眩しいほどの曇天の下に駐車場として使われる空き地が広がり、ヒンズー教のお堂がぽつりと建っている。

み月ほど前にはこの空き地いっぱいに、無数の天幕が張り建てられて、橙色のころもに身を包んだ行者たちが溢れかえっていたのだ。

12年に一度のクンブメラと呼ばれる祭りは、普通なら半年近く続くのだが、今年はパンデミックのためにふた月ほどの短さだった。

短いとはいえふた月、北インドの聖地ハリドワルの、空き地という空き地に天幕が張られ、路肩にも神に捧げる炉が設けられ、疫病を恐れぬ巡礼者たちが街を満たした。

インドの新型ウイルス陽性者数は今も決して少なくないが、外出禁止政策は弱まって、旅行者の数は今のほうがよほど多いくらいだ。

けれどもハリドワルを訪れる人々の数だけの問題ではなくて、むしろサドゥーと呼ばれ、ババジと呼ばれる行者たちの存在こそが、祭りの核心にはあるのだから、クンブメラが創り出した熱気の去った今、表通りでは乗り合いの三輪オートがけたたましくツーストロークのエンジン音と甲高い警笛を鳴らしているにも関わらず、街はひっそりと静まり返っているのだ。

雨季のしっとりと湿った空気を吸って、きみは気怠く寝床に寝転がって、言の葉を紡いでいる。

言の葉は蜘蛛の紡ぐ糸と化して、見事な幾何学模様の網の目を織り出し、そこに宿る無数の露の珠には、きみの魂とこの世界とが不思議の曲率で数多(あまた)に映し出される。

濁りの沈められ、昇る血は鎮められ、あらゆる声音の静まるところで、きみは祭りのあとの寂滅が、体中すべての細胞の染色体へと染み渡るのをありありと感じる、そして忘我の歓びの雄叫びを声もなく彼岸へと放つのだ。

(北インド・ハリドワル 2021-08-27)

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#随想詩 #短編小説 #エッセイ #コラム #望洋亭日乗

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