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400年続く伝統工芸18代目を捨てて、自由な人生を応援する人になった話

「大きくなったらtosiちゃんも18代目になるんだよね」
「お父さんみたいに有名になりなよ」
「小さいころから手伝いしとかんと後で困るよ」
今思えば、好き勝手言われてきたと思う。
でも当時は、ドキドキしながらも漠然と「父の後を継ぐのだ」と思っていた。

最初の転機は中学生だった。
声がでかい、臭い、気持ち悪いとクラスの女子から言われるようになったのだが、嫌だったけど誰も助けてはくれなかった。
親には、「学校にいかんのは世間体が悪い」ということで毎日登校させられていた。
さらに、妹がまじめで勉強もできたせいか、家でもよく比較されるようになっていた。
「ごくつぶし。生むんじゃなかった」
母親に言われたこのフレーズは、今も覚えている。

居場所が無かった。
作るために、お金を盗んでゲームを買って人に貸したりした。借えってこないと分かっていたけど、貸すのに抵抗はなかった。
ゲームを貸すときだけ、居場所があった。

たぶんこのころから、大人の言うことを信じなくなったんだと思う。
”大人は好き勝手に自分のためだけに発言する”
青臭い中学生が考えそうなことを私も考えていた。
この家にも町にも居たくない。
強くそう思った。

また少し大人になり、高校生となる。
家にも町にも居たくないけど、嫌な奴にも会いたくない。
だから、高校進学は、嫌な奴がいない高校を選んだ。
受かりそうなレベルよりも、嫌な奴がいないことを優先した。
高校に進学しても、私の本質は変わらなかった。
「自分が他の人と馴染めない」ということが良く分かった。
話題が全然合わないのだ。
みんなが言ってることに興味が持てない。
話題を振ってくれる同級生は、私のちょっとズレた回答に期待していたんだろうなと今となっては思う。

居場所がない。これは高校の時も感じていたと思う。
中学の頃と違って、直接的に何か言われるようなことはなかったし、話すこともできていた。
でも、誰の役にも立てないし、誰からも求められていないし。
ヒーローになりたい。すげえっていわれたい。ありがとうっていわれたい!
そんな思いが渦巻いた末、委員会に所属したのだった。

委員会活動は、仕事があったからとても良かったと思う。
司書室での作業の特別感、エアコンが効いた部屋での蔵書整理、後輩との会話。
本当に楽しかった。
その頃はヒーローになりたいなんて思ってなくて、単純に楽しんでいた。

そして大学生になると、また少し家や町から脱出できたと思う。
大学は、結構どうでもよかった。
頑張ってもダメなものはダメだし、うまくいくときはいく。でも同じような世代の人がいっぱいいるところは何か嫌だった。
だから、社会人がたくさんいる夜間部に進学した。
そして、今までやった事もない演劇部に誘われるまま入ってみたり、他の学部の授業を取ってみたり、美容室の人と仲良くなってみたり、オフ会してみたり。
今までしてなかったことに手を出した。

その中でも、オフ会は強烈な印象が残っている。
東京で開催されて、年齢、性別、方言などなど全く何もかも違う人が集っていて、その人たちがゲームとか共通の話題で話せる機会になる。
これはまじですごいと思った。
仕事も家庭も過去も誰も気にしない。
ただ、今だけみんなで楽しんで、将来に渡って繋がれる人がいるなら繋がれる。
その場が居場所になる。
もう20年近く前になるけど、その時のオフ会メンバーと今もまだつながりがあるのだから感慨深い。

大学生の4年間はあっという間に過ぎ、大学院生になる。
誰かの役に立ちたいという思いだけがあった私は、ロースクールに進学した。
でも、ここは1年で中退。
トラブルを解決するんじゃなくて、トラブルは起きない方がいい。
解決してお金をもらうんじゃなくて、隣で寄り添うような支援をしてお金が欲しいと思った。

社会に出るのは怖かった。
どうせまた同僚とうまくいかないんじゃないかと思って、起業した。
引きこもりとかの子専門の家庭教師。
このタイミングで東京に出た。

平々凡々。安いアルバイトのようなものだったと思う。
唯一つ、進学したよ!とか、高校今も通えてるよ!とか、ちょこちょこ話を貰えた時が超嬉しかった。

もう、ここからだ。
私が一番やりたいなと思ったことは、人の人生を応援することだと思った。
チャレンジをし続けられる世の中を創りたいと思った。
スキルを学ぶことは自由への第一歩だと思った。
学ぶ、寄り添う、挑戦する。
この3つが今もずっとテーマになっている。

今ではキャリアコンサルタントという肩書を使うことも多いけど、この3つのテーマはズレてない。
私が関わることで、少しでも悩む人が減って、チャレンジし続けられる人が増えて、自分の力で人生進んでいける人が増える。その結果、その人一番が輝ける場所を見つけることができたら、社会ももっと良くなるんじゃないかなって思っている。

居場所を求めて色々やってみた結果、色々やること自体が一番いい経験を作ったと思う。
今では実家の家業もいいものだと思っているし、晩年はそのような道に戻るのもアリかなと思っている。
和解は別にしてないけど、気持ちはすごく晴れやか。
人は変えられないけど、自分の変化に気づくと楽だよっていうのは誰よりも私が良く知ってる。

そんな私だからこそ、今いるところから動けなくなっている人を助けたいっていつも心から思っています。

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