タイトルの通り、新卒からおよそ4年半お世話になった会社を退職しました。
記者として編集者として、社会人として自分を成長させてくれた素晴らしい環境に感謝しかありません。
バスケを盛り上げるために
2016年3月、就活生だった僕の企業選びの基準はただ一つ。
「バスケットボールの面白さを世間に広められること」
これが僕の夢であり、唯一のやりたいことでした。
強い志を胸に、その目的が果たしやすいであろうマスメディアだけに絞って就活をしていました。
当時はBリーグが開幕する直前で、渡邊雄太はジョージタウン大で活躍していたものの、八村塁はNBAどころかゴンザガ大にも進学が決まっておらず、まだ日本のバスケットボール界(特に男子)には今ほどの注目が集まっていませんでした。
当然のことながらメディアのバスケットボールに対する注目度も低く、テレビや新聞で日常的にバスケが報道されることはほとんどありませんでした。
そんな状況を変えるには、自分が内部に入り、バスケをゴリ推ししていくしかない。
そんな熱い思いをエントリーシートに綴り、面接で語る日々でした。
譲らなかったエゴ
ある通信社の最終試験。
その企業には「スポーツ記者」という枠があり、オリンピックなどを含め世界中のスポーツイベントを取材することができるような最高の環境でした。
その場で与えられたお題をもとに取材、原稿を書くなどの課題をクリアし、いよいよ最後の役員面接。
バスケへの情熱を語りながらも、さまざまな質問に柔軟に答え、我ながら「いい形で面接が進んでいるな」という手応えがありました。
そして、終盤に差し掛かり、ある面接官から聞かれた最後の質問。
「もし、バスケットボールの取材ができなかったらどうしますか?」
この質問の意図は分かっていました。
“やりたくない担当になったとしても責任感をもって仕事をしてくれるか”
仕事をする上での協調性や柔軟性を見られていたのだと思います(適性を見極める面接官としては当然ですが)。
数秒考え、こう答えました。
「いつかは絶対にバスケットボールを取材したいと思っています」
中には苦笑いのような表情を浮かべている面接官もいましたが、僕は野球やゴルフを取材するためにスポーツ記者を目指したわけではありません。
結果的にその最終面接は落ちてしまいましたが、その時の自分の答えに後悔はないし、今もその信念は全く変わりません。
気づかされたバスケの立ち位置
そんなバスケ愛全開で挑んでいた就活中、僕の熱意を買ってくれたのがスポーツニッポン新聞社でした。
バスケ一辺倒だったエントリーシートは笑顔の面接官に華麗にスルーされた思い出がありますが、僕の熱意とグループワークで相撲を取ったことが評価され、会社の雰囲気も良かったので入社することに(笑)
スポーツ新聞というメディアは良くも悪くも野球偏向報道なので、人生で全く野球に関わってこなかった僕は最初は慣れるのに苦労しました。
(怒られるかもしれないけど、子供のころは試合時間が長くて好きなテレビ番組が潰れるから野球が嫌いでした 笑)
バスケへの情熱を買われて入社はすることはできましたが、実際の業務はというとバスケに関わることはほぼゼロ。
基本的には野球が話題の中心で、入社後は野球のスコアの付け方を一から勉強しました。
高校野球の取材に行くようになるまでは「得点」と「打点」の違いも分からなかったし、新入社員の歓迎会で先輩が話していた「巨人 大鵬 玉子焼き」という言葉に「それ何ですか?」と聞き返し、呆れられたことを覚えています
(こんな感じでよく入社できたなと今でも思います 笑)
そんなバスケへの熱しか取り柄がない自分に、やりたいといったことを自由にやらせてくれたのも会社でした。
紙面での扱いが小さかった(というかほぼなかった)日本バスケについての発信をしたいというとSNSでアカウントを作らせてくれたし、(担当ではなかったけど)Bリーグやウインターカップ、NBAジャパンゲームズなどの取材にも行かせてもらい、人脈も広げることができました。
Bリーグのクラブとのコラボ号外やSNSでのコラボ企画など、編集者・記者の枠を越えたプロジェクトにも関わることができ、貴重な経験を積むことができました。
編集者として19年のW杯の紙面を毎日作れたことと、新潟アルビレックスBBのCS進出号外と選手名鑑を作れたことは一番の思い出です。
最後の仕事として、後輩の香川ファイブアローズ・飯田遼選手のインタビュー記事も掲載できたので、悔いは一つもありません。
個人での挑戦
2020年からは個人としても「Basketball News 2for1」というメディアを立ち上げ、バスケの取材・発信を続けてきました。
https://www.youtube.com/channel/UCCW9UoZfKbdNRP-DSeFxNhQ
新メディアを立ち上げた理由は以前ツイッターにも記しましたが、マスメディアがあまり取り上げないような小さなニュースも拾っていく機動力のあるメディアを作りたかったからです。
まだまだバスケは日本のスポーツ界ではマイナーな立ち位置で、マスメディアで取り上げられるのもNBAで活躍する八村や渡邊、Bリーグではトップの数チームのみというのが現状。
そんな中で少しでもバスケを盛り上げるためには、メディアが発信する量を増やしていかなければならないと思い、個人での活動にも注力していくことに決めました。
会社で立ち上げ、運営していたバスケアカウントのフォロワーも1万人を超え、大きな発信力を持つようになりました。
そんな中、春からは福島支局に異動となり、バスケアカウント運営も信頼できるメンバーに引き継いでもらうことになりました。
大きな発信力を持つマスメディアでバスケのことを発信できる環境を作り、個人としても目標としていた東京オリンピックをスポーツ記者として迎えることができた時、自然と自分の中で「これで一区切りだな」という思いが湧いてきました。
会社では信頼できる仲間とバスケに情熱を持つメンバーが発信を続けてくれるし、自分自身も立ち上げたメディアを中心にバスケの取材・発信ができるようになってきていたからです。
自然な流れで新卒から4年半働いた会社を退職することになりました。
第2章へ
マスメディア、それも新聞記者という特殊な職業に就かせてもらったことで、普通では味わえないような貴重な体験がたくさんできました。
盆も正月もなく、気づいたら仕事中に新年を迎えているという一般の人にとっては悪夢でしかない環境も、いざ離れるとなるとどこか寂し恋しいものです。
たまに来る芸能人や芸能事務所からの差し入れに一喜一憂しながら過ごした日々は人生の宝物です。
今後については、2for1での活動を大きくしつつ、個人でもいろいろと幅を広げていく予定です。
(取材の依頼や原稿執筆の依頼などもいつでもお待ちしています!)
2for1以外のところでも新しいことに挑戦中で、もし興味がある方がいたらこの後に書いてあるので読んでみてください。
僕にとってバスケットボールを追うことはライフワーク。
ここから始まる第2章が楽しみで仕方ないです。
滝澤俊之
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