【通信講座】 小説「読書体験」 講評
個性的イメージが散見される、ロートレアモン、シュルツめいた散文詩。
奔放な事物、情景の変転におもしろみがなくもないが
小説の歴史にあらたななにかを提唱、表現することはできていない。
中にいたのは、しみだらけの脚と仮面だ。
突然、海から炎の熱気を感じた。いや、海が炎と化していた。炎はゆっくりだが、寄せては返している。まもなく冷蔵庫に引火した。
ぼくは空にいた。空中では三人の胸像がテーブルを囲い、ティーパーティをしている。一人目の胸像は厳めしい表情で、二人目の胸像は終始微笑んでいる。三人目の胸像は無表情だ。三人とも肩につづれ織りのポンチョを羽織っている。
馬上の騎士は喀血した。身体がゆっくりと傾き、砂上に埋もれた。
めんどくさそうな描写に読書のよろこびを感じることはできない。
作者には、本当に、これらが見えていない。
主観的想像力におぼれるのではなく
客観的オブジェ objet の世界に目をこらし
あいまいで、漠然とした自分の幻想より、現実、真実の圧倒的な存在感に
徹底的に押しつぶされるべきだ。
そうでなくては、細部に生命がやどることはない。
(作者より)
特に気になっている点は、前回作品の講評していただいた際、作風がカフカ的といわれました。今回の作品ないし作風が、前回よりも成長の片鱗が見えたかどうかです。アドバイスとしては、不自然な日本語の表現の指摘をしていただきたいです。
以下[以上?]のことをよろしくお願いします。
縦断的講評はしない。
この作品はカフカではない。
なにかの、誰かの模倣が達成されているとも思わない。
イメージへの陶酔のみがあり、描写以前、ということは
作品以前の着想に遊んでいる。
私は校正係でもないが
気づいたことは指摘しておく。
丹婆の台所事情は複雑だ。
「台所の事情」ではなく、「台所事情」としたとき
文字通りの kitchen を意味しない。
家計の状態。会社・団体などの財政状況。
「我が家の台所事情」「台所事情が好転する」
「それは弔いにならないんじゃないですか?おまけに、ここは浜辺ですよ、死者を弔う場所としてはいちばん最悪じゃないですか」
「いちばん最悪」
口語なので見のがしてもいいが、トートロジー。
「例え、血のつながりがなくとも、あいつはおれの息子だ!」
if の「たとえ」は「仮令(たとひ)」。
「例え(たとへ)」は example 。
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