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【通信講座】 小説「𣍲」 講評

 そしてまた《いい加減に目を覚ませ …… お前はと疾っくに虫の息なのさ》彼女が親指と人指し指の二本で軽く挟み(そして)口から離した一本の葉巻は焦げ茶色の変哲がないニカラグア産のチャーチル・タイプ、二センチ程度の先端の灰と反対に唾液で湿っている折り目正しくカットされた平たい吸口から闇の静けさに溶け込むくすんだ白煙がゆらゆらと棚引きながらもくるりくらり夜気に払われ(今は令和の十月下旬で)深夜二時は八つ裂きにされた夏の日がな根強い残滓を仄かに散らし(何かの暗示めいた揺らめく煙のふにゃけた筋を彼女の周囲に漂わせ)しかしながら着実に色を深める本格的な秋の蕭漠に包まれているのであり、河辺を歩んでいる彼女の影は雲一つかかっていない下弦の月の蒼褪めた光の下で一際濃い雰囲気で細長く地面に伸びて(それはまるで)彼女に語りかけてきた先程の幻聴と同居(または)混在(の)現実感の伴わない浮標たる白々しさが感じられ、彼女の口唇の隙間から吐き出される長い白煙は靄のように冷たい空気と相容れないようにして宙で千々に枝分かれして上昇し(そして)同じ葉巻本体の煙と同様に残り香と化し、彼女は歩みを止めず、左右の足を心臓や全身に絶え間なく巡る血液にも似た制御不能の自律した一連の動きであるように休める気配もなく(つまり)今宵の語り部(つまり幻聴)に全神経を傾けているかのようであり、そしてまた《無様な生き様をさらすだけの …… おれは三等星にも届かない …… 血塗れで》彼女は再び葉巻の尻を咥え(彼女の口唇ではチャーチル・サイズは難儀であり(それでも妖艶な接吻のごとく葉から芳醇な薫味を深呼吸じみてじっと吸い込み、次に吐き出す行為を繰り返し――先端の灰が一塊ぽたりと落ち――それは彼女のクリスチャン・ルブタンに踏まれ)ながら、そしてまた《目の当たりにしろ …… 三角木馬の上で喘ぐ貴公子のざまを …… 奴はイケてるぜ》彼女はたっぷり肺腑の奥底さえも干涸らびさせる風に息を吹き、視線は低い土手の先の河面に向けられ(――京都府M市の深更の秋空は寧ろ陽の出ている時刻の裏の顔を剥き出しにしているような、そこには収まるべき住民の界隈が横溢し、闃寂と森閑の底でのみ顕現する姿無き者どもの蠢動が垣間見られたのであり、そうしたこの土地で彼女は産まれ大学進学まで育ち、そして五年前の円満離婚を契機に戻ってきたのでもあり)、そしてまた《おれはお前にぶちまける …… おれの中身 …… 皮膚の下の何もかも》彼女が(彼女だけが)知覚する(彼女の脳内でのみ)響く実体のない語り(というのも彼女が吸っている葉巻には細工がされており、この土地に少なく植生が見られる樹木の葉を燻した粉末が混ぜられ、それはアルカロイド系の幻覚作用を催させる成分を含み、更には彼女独自の物騒な調合で――無論、法に触れる――京都大学医学部を出、足かけ十六年間の医療従事者として培われてきた薬理知識や調剤処方の経験によって結実した、この世界で彼女ただ一人だけが味わうことができる極秘の嗜好品であり、彼女は洛の三条にある老舗の煙草屋から通販で買っているこれらの葉巻たちに、毎度そうして手間暇かけて幻覚誘発物質を仕込んで)あるのであり、そしてまた《正義がなんだ? お前はおれを殺せない …… 正義の名のもとに …… お前をぶちのめしてやる …… カタつけようぜ …… お前は良い子ちゃんのふりをしたゴキブリもどきなんだよ》彼女の口の端が(それは限りなく微笑に近い、毒々しい表情の一片であり、トランスしている頭で、万華鏡色の声が頭蓋骨の内側にぶつかり、拡散し、そしてまた脳内に輻輳しては汚穢な呪詛へと固形化し、その幻聴に彼女の身体は逆から知覚の情報を足の爪先まで行き渡らせ、それは恰も全身の細胞一つ一つに余さず染み込ませる具合で、無秩序な脳の酩酊に惑溺するかのように(そして半面を隠した月が少し傾き、傾いたと思われ)それに応じて彼女の影も、そして辺りの地上の森羅万象も夜の形態を曲げられ)麻薬葉巻の吸口を微かに潰してゆき、そしてまた《絶望だ …… 痛みだ …… 前も後ろも …… 右も左も …… 溢れ出しているのさ …… お前たちは全部が嘘偽りだと嘯く …… それで構わないのさ …… おれはおれ自身だってどうでもいい …… 今のお前の片側に雁首を並べている木々がすべて枯れ果てているのに気付かないのか?》彼女の視線の動きを把握するのは仮に夜行性の動物であっても困難だとして(しかし実際には彼女は小川とは反対側の木立を横目に一瞥して)それだけで(川の涼気も、幾分か昼の顔を忘れ、無機質で猟奇的な相貌さえ浮かび上がらせ)反映させる星々、そして下弦の月、それを覆い尽くす宇宙の奥深い皮膚は、歩く彼女に沿って流れるその浅い河川の流れさえもキイヤリとした幽邃に沈め(口から吐き出される息、副流煙の白濁とした靄、夜の静けさ、八本足の悪魔の蟠る暦の月夜)彼女だけがこの暗闇を闊歩しており、そしてまた《ああ …… 何も見えない …… 真っ暗で …… いつも血みどろの憂鬱な月曜日の手前で …… 無防備のお前を始末したい …… 道なき道を …… 血の臭いが拭えないお前の罪深いその …… いつかお前は生誕の厄災に悔悟する》彼女が麻薬葉巻の先端をうっすらと赤く発熱させ(歩き続け、阿蘇の海へと注ぐ河川からも外れ、たっぷりと時間をかけて葉巻の残りを口内粘膜の隅々で味わいながら、住宅地で、暗い町中で、ただ一軒、市長邸の二階の一室が、室内の電灯が漏れており)彼女も知悉しているその部屋の主人は、親の脛齧りで、道楽好事の考古を趣味としており(天女の羽衣伝説が残るこの地ではその分野の学術の徒が地中に埋もれた過去を掘り返し)彼女の目端が一瞬、険しく齢四十四の小皺を集め(しかし)それだけでしかなく、そしてまた《これで終わりだ …… 朽ち果てた庭で …… おしまいにしてやる …… この見るも無残な死骸の箱庭で ……》


去年の流行語がツイートされているのを
読んだほうがはずかしくなってくるように
数十年前の現代芸術をいまだに
前衛的、実験的だと信じて堂々とやっているのも
あいさつにこまる。

十二音技法、現代口語演劇がその役割を終え
だたしく時代遅れになっていったように
このような作品も忘れ去られるべきだと思う。

なんらかの主題、問題意識にもとづいて、確信的に選択された文体ではない。
漠然と文学的なだけ。
難解、長い、複雑、つまらない
を小説の条件と考えている低俗な読者を感心させたいなら
それもいいだろう。


(作者より)

<気になるポイント>
・文体について――小説として成立しているか否か、基礎的初歩的なところも含めて
・題材について――読者に伝わるように描けているか否か、構成的に誤謬があるか否か
・登場人物・物語について――魅力的に描けているか、展開がわかりやすいか否か


具体的に志向している
「文体」「題材」「登場人物・物語」
があるとはまったく感じなかった。
ただ「漠然と文学的」で
いま、ここで、われわれが書き、読む必要があるとは思えない。
執拗な叙述も、心理、描写、まったくの空虚であり
実体のない無を対象にこれほど書けるのはすごいが
どこまで読んでもむなしい。


学生運動、フェミニズム、戦争、震災、その他、俗情に訴える主題に興味がなく
なんらかの独自の問題意識を表現したいらしいことは分かるが
戦っている相手は誰なのか。
「おのれの魂の怪物」と
作者は対決したくないらしい。
必死にあがいているが
「書くことがない」という絶対的な虚無と向き合い
「漠然と文学的」な文体に逃げなければ
なにかあたらしいものが生まれるかもしれない。

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