見出し画像

【通信講座】 小説「夢現(ゆめうつつ)」 講評


薄目を開けると、部屋に差し込む水色のハレーション。

頭の中で未だこだまするBoom Boom Dollarを静寂と光が吸収していく。

目の前にある指先はオレンジから透明になった。

(爪の先?)

ブラックホールに放り出された気分だ。

そう言い聞かせて項垂れるように倒れ込むと、私は孤独のまま暗闇に溶けた。

独特の感覚を色彩と光で表現しようという
かすかな才能の萌芽を感じはするが
いろいろとあまい。
(「ハレーション」は辞書をひいてごらんなさい。
 おそらく「光」と書きたいにすぎない)



描写の密度のわりに
内面の推移が漠然としている。

陽気なキブンで短く息をふきかけたはいいが、さっぱり動く気配のない巻き毛にいらだちが募る。
こんな自分に呆れてしまう。

「陽気」「いらだち」「呆れ」
不安定な女だ。
前半と後半の対比という
この掌編唯一の趣向からしても
簡単にネガティブにならないほうがいい。



ちょうど信号機が黄色に変わる瞬間だった。

信号機の光が窓からさす部屋だと
なかなか分からなかった。
ここまでのモノローグが幻覚で
実は交差点にたおれているのかと思った。
(読者はそれくらいの落差を期待する)



振り返ると、私の部屋は五日ものあいだ、白い布越しに披露されていたらしい。
丸見えだったわけでもないし、別に何があるわけでもないからいいんだけど。

前半と後半(あるいはオチ)をわかつ事件が
さほど重大ではない。
この程度の事件で「呆れ」るなら
語り手は根本的にまじめすぎるのだ。
(「まじめさ」を滑稽化した作品でもない)

多かれ少なかれ非日常的な事件を
多かれ少なかれ非日常的な言語で書くのが小説だ。
レトリック、対比、その他、あらゆる技術を動員して
この目的を達成しなければならない。



(作者より)
・小説に限らず、文章を書く際どう終わらせていいか悩むことが多い
・書き手の自分だけにしかわからないような描写になっていないかという不安がある
の2点についてアドバイスいただけますと幸いです…!

あたりまえだが
すべての小説は
はじまりがあって
中間があって
終わりがある。
はじめかたがまずいのではないか。
終わりかたをむずかしくするようにはじめている。


たしかに
いらざる複雑さを感じる文章ではある。
一般的なことを書くときは
一般的に書き流せばよく
そうでないところにレトリックを駆使する。
「一般的な文章」を蓄積するには
読書するしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?