【通信講座】 小説「プールに沈む」 講評
錯乱した構成、とても正気で書いたとは思えない。
日本語に対する
最低限の興味さえ欠如した人間が
なぜ小説を書こうとするのか分からない。
小説の作者として
という以前に
いい大人が書いた文章とは信じられない。
生きた人間を書こうともしていないらしい。
ただのポルノ。
素朴な読者なら冒頭、
語り手「真澄」と「青哉」の関係性を描いた小説だと予想する。
文化祭で、俺の撮った写真を観て、「俺のことも撮ってくれない?」と言われた。
このように「青哉」に言わせた
不明の動機をめぐる物語の発端を提示しておきながら
まったく無関係の「山際壮太」の挿話を作品の中心としているのが不可解。
「本当に申し訳ないことをした。俺、義父にああやられて育って……。精神科に通い始めて、軽い抗うつ剤も飲んでいて、治すように努力しようと……」
「でも、もう別れた。あのあと……。君を傷付けて、本当に申し訳ない」
「それは貴方のせいじゃないから。病気なら治せる」
「心的外傷後ストレス障害って言うんだそうだ」
「治そう」
読者を馬鹿にしているのだろうか。
こんな下劣なソープオペラが
なんらかの情感、共感、感動を惹起すると期待しているのだろうか。
類型的サディストの行動理念を
俗流精神分析で適当に説明することで
人間性へのあたらしい視角を表現できたと本気で思っているのだろうか。
ラストは盛り上げるものであるという
いちおうの知識はあるらしく、
大きな音を立てて落ちて来る雨に悲しい運命を感じて、俺は涙を流す。
駅に入る前に、わざと顔や髪を雨に当てて、泣いていることを人々に悟られまいとした。
「雨のなかで泣く」という
シーンを用意しているが
語り手「真澄」の内面における必然性、一貫性を完全に無視している。
「必然性」「一貫性」が十分であっても
こんな安い、古い、あざとい、くだらないシーンは
もっとも低俗なアニメ、メロドラマにしか存在しない。
わざわざ書こうとするセンスをうたがう。
一般的な読者の目で読めば
構成の不備、人間の不在、展開の非合理は自明であり
「一般的な読者の目」を持たない作者は
一切の読書経験がないとしか考えられない。
「ただのポルノ」が書きたかったのなら
いわゆる「濡れ場」の生彩に富んだ描写を評価するにやぶさかではないが
こんなものが散文芸術であるとは言えない。
下着姿で立ち尽くす彼に、野次馬達が口笛を吹く。
もっとも低俗なアニメ、メロドラマにしか存在しない行動。
一生に一度くらい
真剣に人間について考えながら書いてみてはどうか。
(作者より)
以前、川光さんは、描写をしなければならない、ということは、昔のある一派の文学者達の言っていたことで、そんなに描写にこだわらなくてもいい、というようなことを仰っていたと思います。しかし、『ピアノに住んでる白いヘビ』では、「こんなところで横着するなら小説など書かないほうがいい」と何か所かで指摘されてました。今回の『プールに沈む』では注意して書いたつもりですが、これよりもっと描写、説明をした方がいいのでしょうか? あまりし過ぎると文章に鋭さがなくなるような気もします。
当然ながら
読者は、適切な箇所に適切な描写があるのを期待しているのであって
「見聞きし考えたことをすべて書く」ことが必要なわけではない。
情報量の問題ではない。
物事の本質を的確にとらえることばで小説を書きなさい。
金柑は葉越しにたかし朝の霜
蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
水洟や鼻の先だけ暮れ残る
青蛙おのれもペンキぬりたてか
芥川龍之介
不適切な箇所の不適切な描写は、
下着姿で立ち尽くす彼に、野次馬達が口笛を吹く。
これにつきる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
おかしいんだ。放課後に部室の廊下に来て、暗い所に十分くらい立っていて、俺の顔は見ないで、ひっそり背中を向ける。ここは写真部。文化祭で、俺の撮った写真を観て、「俺のことも撮ってくれない?」と言われた。
「部室の廊下」
幼児語。
「校長室の廊下」「理科室の廊下」「音楽室の廊下」という表現が可能かどうか。
「暗い所に十分くらい立っていて、俺の顔は見ないで、ひっそり背中を向ける。」
不明。
「背中を向けて暗い所に十分くらい立っていた」?
ここは写真部。文化祭で、俺の撮った写真を観て、「俺のことも撮ってくれない?」と言われた。
この飛躍は無理がある。
ここは、金持ちの息子ばっかりの坊ちゃん高校。それにしては進学校で、俺は三年だが、受験には興味ないから、まだ毎日ここに来る。三年生の部長が受験勉強で引退して、ここにいる新しい部長は二年生だ。
「ここ」が三種類の場を指示している。「高校」、「部室」、語り手のそば。
「それにしては」
非論理的な接続。
上等な男か。俺はもちろん本物のモデルなんて雇う金がないから、街で上等な男をナンパする。俺は本来シャイな方だが、写真のためだったら、知らない男に声をかけるのは平気。
「もちろん」
非論理的な接続。
「俺は本来シャイな方だが」
どこにも「本来」が表現されていない。不要。
死語。
「俺は男は、やる前かやった後しか撮らないから」
不明。
「いつでも」撮ると言っている。
彼の答えを聞く前に誰かが部屋に入って来て、彼は立ち去った。
誰だか分からない理由がない。
横顔がチラッと見えたけど、特に驚いたような様子ではなかった。
それまで後頭部のみを見ていたかのよう。
今日、どうしてだか知らないが、昼休み、青哉が俺の教室に入って来た。
「今日」
時系列が不明。
性格が急変するタイプかな?
こんな適当な感想で二面性を書いたつもりなのだろうか。
文化祭で声をかけてきた時は、無表情だった。廊下で背を向けている時は、見えないから、どうだか分からない。今は攻撃的だ。口調も鋭い。
「無表情」「見えない」と言っているのだから
当然、「今は」表情について描写しなければならない。
首は長く、そして太いから、頭と首の幅がちょうど同じくらいに見える。それがシャープでいいな、と思った。
だけど、こないだナンパして、ヌードを撮らせてもらって、文化祭に飾った、あのモデル。
「だけど」
非論理的な接続。
プールのそばに小さい部屋があるだろう? あそこ鍵がかかるの?
「小さい部屋」
幼児語。
サラリーマンがたくさん行くようなレストランを覗く。
どんな「レストラン」を想定しているのかまったく分からない。
幼児語。
俺は自転車みたいなマシーンに座る。
幼児語。
俺はクスっと笑う。
死語的表記。
二年生の部長と一緒にでっち上げたビジネスカードを渡す。
「二年生の部長」
名前を書かない理由がない(「博樹先輩」)。
「ビジネスカード」
名刺?
次に会った時は週末だった。スーツじゃないと壮太は、ファッションセンスがよくて若く見えた。
「次に会った時は週末だった」
無意味にねじれている。
「次は週末に会った」とでも書けばいいのに。
「ファッションセンスがよくて若く見えた」
5年ぶりに顔を合わせた親戚のおばさんが言いそうな社交辞令。
適当すぎる。
俺が高一の時、写真部の部長だった博樹先輩のアパートに行った。
動機が不明。
彼は、若者に人気のファッション・フォトグラファーになっていた。
「若者に人気の」
老人しか言わない。
「誰にやられた?」
俺はずっと沈黙していた。博樹は病院だけは行かせようとしたが、俺が頑固なのは彼が一番よく知っていた。
「この首、殺人未遂だぞ」
「なんかの病気なんだよ。そいつ、自分もやられて育ったって。だからそういう風にしかできないって」
沈黙していない。
「痕残ったらどうすんの?」
「男の傷痕は勲章だから」
「誰がそんなバカなこと?」
「俺が今作った」
くだらない。
殴られたのは、俺が生まれて来た罰だ。そんな理不尽なことを、なぜだか信じていた。だけど、それを諦めるような、余裕ある態度も残っていた。
原罪とまで思いつめる必然性がない。
ラストは盛り上げるものであるという
いちおうの知識はあるらしい。
「態度が残る」という表現が可能かどうか。
殴られた頬も酷かったけど、絞められた首の痣が凄かった。
「酷かったけど、凄かった」
幼児語。
写真を観て、俺の罪と罰を思った。
くだらない。
ラストは盛り上げるものであるという
いちおうの知識はあるらしい。
それから二人で葬式みたいに黙って、コーヒーを飲み終わって、俺はカメラを掴んで表へ出た。
「葬式みたいに黙って」
ないほうがまし。
「俺は成績が良くて、親戚は全員敵にまわって、孤児院に入れるくらいなら、と言われて弁護士の養子になって、最初から布団は部屋に二つ敷いてあって……。一番酷いことは、俺自身、そういう関係にのめり込んで、つい最近まで、呼び出されてはああいうこと……」
「俺は成績が良くて、親戚は全員敵にまわって」
非論理的な接続。
「孤児院」=児童養護施設
「最初から布団は部屋に二つ敷いてあって」
不明。
俺は青哉とホテルの宴会場にいた。でも、俺は青哉から逃げ出して、家に帰ろうとしていた。なにも告げずにホテルを出ようとしていた。こんなストレスには耐えられない。
「家に帰ろうとしていた」「ホテルを出ようとしていた」
「こんなストレスには耐えられない」
不正確。
名前を呼ばれるのを待っているのだが。
今日、そのホテルで、メジャーな写真雑誌の新人賞発表会がある。
「新人賞発表会」
授賞式、受賞パーティー。
芥川賞授賞式を「メジャーな文芸誌の新人賞発表会」と書くだろうか。
十位から順番にステージに呼ばれた。いつまでも俺達の名前は呼ばれなかった。
こんなバラエティー番組のような授賞式がありえるだろうか。
名の通った写真家である審査員長
芥川賞選考委員の石原慎太郎を「名の通った小説家である選考委員」と書くだろうか。
「一位と二位の間で、私達も迷って、大変な思いをさせてもらった。決定的になったのは、この写真が貴方達の人生の、二度と起こり得ない瞬間を切り取っていること」
「二度と起こり得ない瞬間を切り取っている」
あらゆる写真にあてはまる。
おろかな審査委員長だ。
俺の撮った作品が、プロジェクターに大きく映し出されている。
「プロジェクター」「スクリーン」を検索してごらんなさい。
暗い会場に、写真が明るく投射される。
二度言う意味がない。
青哉の顔アップで、なにも着てない首も入っている。
「なにかを着ている首」とは。
「モデルさん、随分お若いようだが、お幾つですか?」
「十八です」
「大学生?」
「高校生です」
「フォトグラファーさんは?」
「高校の写真部です」
知らないはずがない。
俺のストレスはそこでピークに達し、なにも言えなくなった。
必然性、一貫性の欠如。
俺は背が高いから、雨が降ると、いつも足元が濡れて、靴に水が入って、気持ちが悪い。
「から」
非論理的な接続。
あの賞を取った写真は、俺にとって既に人生の集大成で、もうとっくに終わってしまって、枯れかかって、深い森の中の、一番奥の木に釘で打ち付けられて、その木が死ぬ時、写真も俺も死ぬ。
ここまで思いつめる理由がない。
必然性、一貫性の欠如。
「いなくなっちゃうなんて、真澄は普通じゃない。あれからみんなが俺に質問するから、答えるのが大変だった。俺は写真部じゃないから分かりません、って言ったら、じゃあ貴方はなに部なの、って聞かれて、水泳部です、って言ったら、みんなに笑われた」
「笑われ」る理由がない。
駅に入る前に、わざと顔や髪を雨に当てて、泣いていることを人々に悟られまいとした。もっと思いっ切り泣きたいと思った。俺の呪われた幸運を思うと辛かった。たった今、置き去りにしたのに、もう青哉に会いたい。彼は俺のモデルだ。一緒に様々な作品を撮った。撮る時はセックスする前か、セックスした後に撮った。
こんな安い、古い、あざとい、くだらないシーンは
もっとも低俗なアニメ、メロドラマにしか存在しない。
「撮る時はセックスする前か、セックスした後に撮った」
「撮る時はセックスする前か、セックスした後だった」
「セックスする前か、セックスした後に撮った」
2つの構文を結合させている。
他にも何人もの男のヌードを撮った。俺はもう疲れてしまったのかも知れない。よかったんだ、あそこで死んでも。もう一度、首を絞められて、冷たいプールの底まで落ちて行きたい。
ここまで思いつめる理由がない。
必然性、一貫性の欠如。
また傘をどかして、雨で涙を流し落とす。
こんな安い、古い、あざとい、くだらないシーンは
もっとも低俗なアニメ、メロドラマにしか存在しない。
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