【通信講座】 小説「考える海」 講評
もっとまともな文章なら
第2回 川光俊哉賞を受賞していたかもしれない。
残念でならない。
「考える海」、「ストロベリーシェイクみたい」な「泡立ち渦巻くピンクの海」が
的確に布置された細部、イメージの遠近法をつつみこみ
すべてのセンテンスが甘美な破局を用意している。
このような作品を書く作者が
このようなきたない日本語で満足しているのが
不思議でならない。
(作者より)
ある方に、私の場合、一人称だと自分のことばかり書いて、他人を飽きさせるので、三人称で書いたらどうか、というアドバイスを受けました。この作品『考える海』が生まれて初めて書いた三人称です。かなり一人称に近いですが、今、書いている作品はもっと三人称らしいです。人称は私にとって、どのように、どれほど大事なことなのでしょうか?
数だけは書いているのですが、単に駄作を積み上げているのでは? といつも心配です。素人臭さが抜けるように、私が心掛けるべきことはどういう点でしょうか?
『考える海』では、自分の書きたいことを書くことに夢中になって、作品に「新しさ」は出なかったと思います。
以前、川光さんに、私の作品には「芸術性」がない、というようなことを言われました。特にこの作品では、芸術性にトライしてみました。書いてから時間が経って、今、読むと成功はしていないと思います。しかし、方向性は合っているのでしょうか?
しつこく申し上げるが、作者の作品を比較する
縦断的講評はしない。
「他人を飽きさせる」から三人称がいい、というより
叙事的記述で淡々と事件のみを展開させていく手法は
作者の構想と合致している。
「心掛けるべきこと」は正確な日本語につきる。
鮮烈なイメージ、斬新なそれらの布置は「新しさ」に満ちあふれていると思った。
これを失敗作と考えているなら
あなたのセンスは一般的な読者とはちがうのかもしれない。
「私の作品には「芸術性」がない、というようなことを言われました」
縦断的講評はしない。
他人の文章は正確に引用してほしい。
「!」「?」「…」のつかいかたが安っぽいとは思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
物心が付いた時、美帆の周りには必ず「護衛」がいるのに気付いた。
「物心が付」くのは瞬間の一点ではない。
常に「物心が付いたころ」であり、これを成句としてつかえないのがまずい。
身体の中に残る、外の狂ったような熱気がなかなか引かなかった。
秀逸。
額の汗が無かったら、誰にでも美帆はお人形に見えた。彼女の左右に男が座り、あと二人は左右の出入り口に立っていた。
「誰にでも」
不要。
「あと」→ あとの
子供の観る映画はもうとっくに始まっていて、護衛達はその映画を選んだ。
「その映画」は「子供の観る映画」を指示している。
リバイバル上映をする名画座で、「子供の観る映画」が上映されるかどうか。
学校へ行かない美帆には家庭教師がいて、彼女の能力は水準より上回っていた。アメリカ人の英語教師もいたから、彼女のその映画への理解度は完璧だった。
「彼女の能力」「彼女のその映画への理解度は」
「彼女」が「美帆」なのか「家庭教師」なのか分からない。
「能力は水準より上回って」
文章がきたない。
他の男達は長袖で黒ずくめなのに、正樹だけチェックの半袖に短いジーンズだった。
デニムのホットパンツをはいているのか。
美帆達は父のオフィスを尋ねた。知らない人達が美帆に会釈した。エントランスやエレベーターの中で。
倒置して強調する意味がまったくない。
正樹が窓にへばりついた。
「美帆、俺は天下を取る! 組長みたいに!」
正樹は大きく腕を広げ、そして景色を抱き締めた。
唐突。
天窓に逃げる湯気のトンネルの向こうに、美帆の父親の背中が隠れたり現れたりした。
天窓にしがみついているのか。
その絵は今でも変わらない。……滝に逆らって登る鯉。蒼く光る鱗。滝壺に散る桜。鯉に追いすがる花弁。
「滝に逆らって登る鯉」を「花弁」が「追」えはしない。
彼は沈黙した。そして父が応接室に入って来た。美帆はぐずぐず部屋を出て、また戻って、父にお茶を運んだ。それ以上のことは聞けなかった。
「ぐずぐず出る」という用法はない。
家庭教師が帰ったあと、待ち切れないように、美帆はパソコンの前に座った。
「待ちきれないように」
「満を辞して」とでも書きたかったのだろうか。
惨殺というくらいだから、きっとマスコミの取り決めで書かないことにした。
「きっと」には「だろう」などを対応させたくならないか。
Aの供述より。当時、小学校五年生だった被害者の女児を、誘拐し、車の通らない廃動で、ロープを身体に巻き付けて、車の後ろに縛り、約三キロに渡って引き摺り回した。
「廃動」
不明。廃道?
性器に損傷があったんなら、発見されたんだろう。人間って面白いな。私は声を立てて笑う。手足を切られても意識はあるんだ。血は? 血はどのくらい出たんだろう? ビデオは暗くてあまりよく見えない。手を切った時は、血が噴き出しているのが少し見えた。でも足を切った時は暗くてよく見えない。もう出所しているC会ってみたいと思った……。
「なら」
非論理的な接続。
「私は声を立てて笑う」
「もう出所しているC[に]会ってみたいと思った」
モノローグを三人称的に書くという
非常に気持ち悪いことをしている。
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