【通信講座】 小説「アカシジアの宵」 質疑応答①
その登場人物による価値観によってキャラクターを変えるということですね?
価値観の体系こそ、キャラクターそのもの。
われわれは、ルパン三世と銭形警部が
まったく別のキャラクターであることを知っている。
彼らの行動理念(価値観)が対立するのは自明だから。
さらに葛藤を深める、というのが気に入って、主人公を真剣に苦悩し葛藤させてみたのですが、やり過ぎたのでしょうが? 足りなかったのでしょうか? やり方が間違っていたのでしょうか?
脚本『枯れた心臓になる前に』で
「ドラマ」とは
「コンフリクト Conflict」であって
キャラクター同士の関係性においては「対立」
キャラクターの内面においては「葛藤」を意味する。
と講評した。
内面における信念の「対立」を
「葛藤」と呼ぶ。
ダイエットしたい ── 食べたい
死にたい ── 生きたい
このような「対立」が「葛藤」だが
ひたすら苦しんでいるポーズをとるのは
単なるナルシシズム。
「主題」は、難しいです。自分が書きたいテーマですよね。この作品は精神に病を持つ主人公が、大人になっていく、といういい主題があるつもりだったのですが。どんなものでしょう?「イメージ」は頑張ればなんとかなりそうですが、生きた「キャラクター」などいない。これは私の多くの作品の欠点です。今まで書いた作品が100%一人称なので、主人公もわき役も、私自身に似たキャラクターになってしまいます。どうしても一人称しか書けません。これは欠点でしょうか?
「精神に病を持つ主人公が、大人になっていく」
漠然としている。
古今東西のあらゆる作品にあてはまる。
「主題」に問題があるというより、「大人になっていく」過程がまったく表現できていないことを自覚すべき。
作者と面識はないが「私自身に似たキャラクター」がいるとも思わない。
「変化」をあたえられるような
特殊な「状況」がないのだから、当然のこと。
小説を書く上で、不合理に湿っぽく感傷的にならないように、合理的に正確に説得力があるように書く、という解釈でよろしいでしょうか?
そのとおり。
理解してもらえたならいいのだが。
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