【通信講座】 小説「アカシジアの宵」 質疑応答④
表現したい情動: 作品に表したい急激な強い感情。
達成すべき目的: ストーリーの流れが向かっていくゴール。
実現すべき効果: 作品が完全に成功すること。
この3つから「逆算」して「ストーリー」の要素を選別しならべなおしていくのが「プロット」
その意味は、この3つのものが先にあって、それらが持つ「ストーリー」である部分を取り出して、ならべていく。プロットを先につくるのではなくて、この3つのものを先につくり、あとでならべていくから「逆算」なのでしょうか。プロット作りとは、そのようであるべきなのでしょうか?
そのとおり。
「あるべき」というより
定義として、そのように言っている。
先にいかなる変化をさせるかを計画して、その計画から逆算してもっともふさわしい場と、そこで関係をむすぶ人物を考えればいい。もっともふさわしい場と、そこで関係を結ぶ人物を考えるのが、いかなる変化をさせるかを計画させるより後になる。だから「逆算」。
そういう意味でしょうか? プロットをつくるにはプロットの材料になるストーリーや、シーンや、様々な要素が先にあり、本来ならプロットを先につくる人が多い中、実はプロットはあとに「逆算」されて色々並び替えられてつくられる、という解釈でよろしいでしょうか? よろしくお願いいたします。
そのとおり。
ただ
「本来ならプロットを先につくる人が多い」とは
いかなる誤解か、どう考えても分からなかった。
書きたいこと(「材料」)があるから
表現方法を工夫する
と言っているにすぎない。
「書きたいこと」より先に「表現方法」がある
とは
具体例を想像することもできない。
困惑させてしまって申し訳ないが
この疑問に対する回答は
創作の本質ではあるが
あらゆる作者が無意識にやっているプロセスを
あえて言語化しただけ。
無視するのはむずかしい。
それどころか、不可能だと思う。
その、あたりまえのことを「あえて」言わなければならなかったのは
一連の作品が
あまりにも構成に対して無造作で、
しかも
作者の志向するものが、あきらかに厳密な構成を要求しているから。
プロットが最重要だとも思わない。
私の個人的な作風では
プロットよりも文体のほうを重要視している。
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