【通信講座】 小説「Lolita Lollipop」 講評
おそらく、また
自信作を受けとったのだろうが
私にはほめるべきところが見いだせない。
残念でならない。
ロリータなコスプレイヤーの中でも、群を抜いて私の顔は童顔で。
私の背は152cmで。
しかも私、Fカップで。
まさにアニメから飛び出てきたようなルックス。
そして、私は夢可愛い、エロを目指した。
パステルカラーのファンシー色の、エロ。
コスプレは続けていくけれど、私はもう少し自分を解放したい。
そう、私は淫乱な女。
でも清純派ロリータを死守して来た。
ずっと、我慢して来たの。
Sex。
ずっと、一人遊びをしていたの。
誰も私が本物の処女だなんて、知らない。
描写、人間の内面になんの興味もないらしく
空虚な内容、稚拙な文体は
20年前の携帯小説に酷似している。
なんか
アタシ彼氏いたんだけど
飽きた
みたいな
んで今の彼氏
まぁ
トモに
出会ってさ
乗り換えた
みたいな
前彼より
顔いいし
金持ってたし
なにより
セックス
相性いいし
まぁ
アタシにしたら
当たり前の男
みたいな
kiki『あたし彼女』
『Fifty Shades of Grey』に代表される Mammy Porno のようでもある。
私はキャンディーを舐める。
彼の体を私の手の中のキャンディーだと、イメージして。
触ったこともない、男の体。彼の体。
私は彼にして欲しくて、たまらない。
欲情した私は、どんどんいやらしい顔になっていく。
それが、自分で、わかる。
私の泉は溢れ出しそうになっていたから。
彼がカメラをほっぽりだして、私の身体にむしゃぶりつくのを想像する。
まずは胸を味わって。
ほら、私の柔らかな乳房とさくらんぼみたいな乳首、むしゃぶりつきたいでしょ?
ねえ、わからない?
私の泉には、エロティックな湧き水が溢れているの。
別にポルノでもかまわないが
それにしても
類型的で、古い、リアリティーのない
生彩を欠いた記述は索然たるもので
このジャンルとしての価値も認めることはできない。
語り手の変化、ポルノ的興味が主題ではないとしたら
「おとしばなし」的ショートショートを志向していたのかもしれないが
しばらくすると、私を撮影した写真家の男たちが、私を撮影した後に、
EDになってしまったという噂を耳にした。
語り手の特殊能力を駆使した当然の結果が
今日も私の郵便受けには、たくさんの手紙が届く。
以前と違うのは、女性からの手紙が半数以上になったこと。
このラスト(住所を公開している「プロのコスプレイヤー」など存在しえないが)
なので
「オチ」として機能していない。
よくできた「おとしばなし」は
かならず読者の予想を裏切ってくれる。
ジャンルさえ特定できない、不気味な作品だった。
類型的な表現、一般的な良識、どうでもいいこと、つまらないこと、必要ない情報は書かなくてもいい、もっと言えば、書くべきではない。
真の「書くべきこと」、作者の個性的な想像力の所産がなにひとつない。
Lolita と Lollipop の押韻からして
作者の独創でもなんでもない。
「私にはほめるべきところが見いだせない」。
「書くべきこと」、つまり
語り手の心理、性描写、「おとしばなし」
なにを表現したいのかはっきりと意識することからはじめて
自分だけのことばで書いてみてはどうか。
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