【通信講座】 小説「セイコの瞳に地平を駈ける獅子を見た」 講評
もし、辞退されなければ
第1回 川光俊哉賞をさしあげたい。
作品の美点をあげればきりがない。
東京駅で新幹線を降りて、東京のビル群を見上げたときの感覚を今でも思い出せる。あたしはあのとき、こう思っちゃったんだ。「ああ、こんなものか」って。その感覚は、初めてセックスを終えたときの感覚にも似ていた。いうほど痛くも気持ちよくもない、意外とあっさりしたあの感じ。それなのに、どうしてかどっぷりそれにハマってしまうあの若さ。そんな溌剌とした若さでもって、あたしは真夏のぎらぎらした太陽をにらみながら、最初の東京を全身で受け止めた。いつか気持ちよくなるまであたしはこの東京という町をなかに入れたいと思った。
あたしはせいいっぱいの声を張り上げ、彼女を呼び止めた。それはあたしが東京に来て出した、最大の勇気だったかもしれない。バイトを始めたときだって、処女を捨てたときだって、勇気なんていらなかった。一年間過ごしてみて思う。東京はあるがまま過ごそうとする人間にやさしくて、あるがまま過ごそうとするかぎり住みやすい町だ。あたしは初めて東京という町が宿している、東京らしさというべきかもしれないもの、おぞましいぐらい大きな慣性力に逆らおうとしていた。
「嫌いな音楽、なんてものはない」。うそだ、あたしは反射的にそう思った。おとなしいあたしは全く反発しなかったけれど、それはちがう、と強く思った。嫌いな音楽は、ある。当時のあたしには思いつかなかったし、いまもこれといって思いつかないけれど、きっとある。まるで疑いのない彼の百パーセントの笑顔に、あたしはあたしの嫌いな音楽を突きつけてやりたいと思った。
和尚はそう笑って、あたしにウインクをした。あたしは慌てて目をそらす。高円寺には、バイの子やレズの子はわりといた。ミュージシャンやアーティストに多いんだろうか。あたしはあんまりバイやレズが好きではない。彼女らは男性よりずっと性にたいするハードルが低いと思う。高円寺で男性からそっちの誘いをかけられたことはほぼないけれど、バイやレズの子からはよくあった。一回だけ、おっぱいを吸わせてしまったことがある。ぜんぜんよくなくて、歯は立てられるし、あざができてしばらくバイトできなくなるし、お金はもらえないしで、げんなりした。ただ、あたしがヘテロかといえば、そうとも思わないけれど。まともな彼氏ができたこともなければ、好きになった男性もいないし。そういう欠落かもしれないものは、AVに出演するたびどんどん溝が深くなっていった。深くなりすぎた溝はもはや溝ではない。あたしはあたしの性の境界線がいまどこにあるのか分からない。欠落はもはや欠落ではない。あたしは男性であっても女性であっても等しく愛せないし、愛さないし、愛させない。たぶん誰とでもセックスはできるけど、歯を立てるのと、性病と、妊娠は勘弁して。あと、お金ください。
ふつうの女の子が怒ることの威力をあたしは知った。ふつうの女の子はこんなにすごい。それはあたしがセイコの歌を、演奏を、聴いたときの最初の感動だった。セイコはいつか日本にとどまらない世界中のふつうの女の子を救うことになるだろう。あたしはそう確信した。
セイコの曲はつづいた。どれも有名な曲ばかりで、セイコはそのどれも怒ったようなギタープレイでぶった切っていった。音楽にまつわるもっとも有名なキャッチコピー「No music, No Life」を裏切りつづけた。「音楽がなくたって生きていけるよ」と体現しつづけた。誰もが彼女のめちゃくちゃなギターとそれほど上手くもない歌にだけ耳を傾けた。音楽が消える特別な瞬間を待ち続けた。
精彩を放つ表現は数多く、いちいちすべてのページから引用して紹介したい。
めざましい芸術的効果をあげている。
語り手「サチコ」は絶対にこの世界に実在する。
アンナ・カレーニナ、ボヴァリー夫人、オフィーリア、ザムザ、ドン・キホーテ、ホームズとともに
われわれ人類が共有する図書館の住人になった。
簡潔で、的確で、リズム、独創性、リアリティー、あらゆる価値がこの文体にはある。
(作者より)
13万5千字程度で、松本清張賞の一次通過作です。
自身ではなぜ一次通過したのか分からなかったので、
良かった点と、受賞に向けて直すべき点、
ご教示いただくたく考えております。
一次通過したのはすぐれた作品だからで
受賞できなかったのは
松本清張賞が求める作品ではなかったから。
「良かった点と、受賞に向けて直すべき点」は、以下。
・ふだん純文学を書いているのですが、本作の文体は大衆小説として硬いでしょうか、あるいは柔らかいでしょうか。大衆小説として、文体をこう変えたほうがいい、というアドバイスがあればいただきたいです。
「大衆小説」の文体ではない。
直木賞受賞作を基準に考えれば
エンターテインメント小説、「大衆小説」とは
ミステリー、時代小説、恋愛小説、ジュブナイル、ファンタジー、ビルドゥングスロマンのことであり
そのどれでもないという意味で
これはあなたが書こうとしている小説ではない。
志向するジャンルを「大衆小説」に限定しているのが不思議でならない。
・ごく短期間で書いたのですが、構成に破綻や改善点はあるでしょうか。大衆小説では構成(ストーリー)が大事であると考えており、よりよい大衆小説にするための構成案などあればアドバイスいただきたいです。なお、本作はプロットを作っていません。
「大衆小説」を意識したと思われる部分が、異様なほど稚拙に思える。
「サチコ」と「セイコ」の出会いなど
こんなに陳腐なシチュエーション以外なかったとは信じられない。
あなたがよりよい「構成」を実現したいならば
「大衆小説」を書こうとしないことではないだろうか。
・ごく短期間で書いたため、細部の書き込み量が少ないと思っています。いまの書き込み量は大衆小説として適切でしょうか。もっと多いほうがいい、少ないほうがいい、こういうところはちゃんと描いたほうがいい、等、描写の改善点(人物・風景など)があれば、教えていただきたいです。
私には作者の「大衆小説」がなにを想定しているのかまったく分からない。
「大衆小説」にかぎらず、特定のジャンルにとらわれる必要などない。
すばらしい才能を開花させつつあるのに、「大衆小説として適切」かどうか
などというつまらないことを考えなくてもいい。
「書き込み」「描写」はきわめて正確で、過不足があるとは思わない。
・性描写が多い作品だと考えております。これは大衆小説というジャンルや時代性を考えて、減点対象となるでしょうか。私は性描写を入れることが多いため、性描写の在るべき形について、本作を踏まえたうえでアドバイスいただけると幸いです。
書くべきことを書いているとしか感じなかった。
別に「性描写が多い」とも思わない。
日本現代文学では「性描写」を入れるべきである
という先入観から自由になり
村上春樹、村上龍、金原ひとみ、山田詠美、その他の亜流作家のものまねでなく
自分だけのことばで表現できればいい。
あなたは、それができている。
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