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【通信講座】小説「ピアノに住んでる白いヘビ」 質疑応答

タイトルの着想を生かせていないのは、なぜでしょうか? もっとヘビをリアリスティックに書くべきでだったしょうか? 例えば、白く湿った鱗などの描写を入れて。ヘビが語り手の妄想なのか、現実なのかはっきりさせればよかったのでしょうか? ヘビは彼にとって現実です。
場を「病院」したのは、閉鎖病棟に閉じ込められた語り手の苦しみを強調するものでした。しかし、外に出るチャンスも作れたかもしれません。短編でそこまで書くのは難しかったです。「病院」に閉じ込めたことによって、特殊な事件を起こすことを難しくしていることには気づきませんでした。気づくべきでした。
不愉快なエゴイストたちが出てくるだけのストーリーは、人々の反感を買うのでしょうか? 「特殊な変化をもたらす」ことが大事だと、何度言われても、しっかり実行することができません。最後のところで、山崎に睡眠薬を返すシーンも、「特殊な変化」とは言えないですよね? 「読者には、この場、この時間を切りとった理由が分からない」。読む側に立って考えると、このストーリーは面白くないのでしょうか?


「タイトルの着想を生かせていない」というのは
そのイメージ自体が不正確だと言っているのではなく(もちろん不正確だが)
「着想」と、シチュエーション、展開、登場人物、(あるとすれば)それぞれの関係性が
まったく有機的に結合していないという意味。
たとえば
語り手と「山崎」、二匹の「ヘビ」が対応するのなら(そうは読めなかったが)
「病院」で、「製薬会社の営業」と「入院患者」「音大生」として出会うのがベストだったのかどうか。

「「場」を「病院」にしたのは、閉鎖病棟に閉じ込められた語り手の苦しみを強調するもの」というのがすでに凡庸で低俗、類型的。
孤独、閉塞感は表現されていないし、現に、さまざまな人間とコミュニケーションする機会も作者自身が提示している(まったく生かせていないが)。

「不愉快なエゴイストたちが出てくるだけのストーリーは、人々の反感を買うのでしょうか?」

「共感できる人物が常に求められるわけではないし
 理由なく行動するのが人間だという思想もありえる」と言っている。
私が問題にしているのは芸術的価値であって
大衆に受け入れられるかどうかの話ではない。
ドストエフスキーが創造した人間はすべてが醜悪なエゴイストだが
スリリングなやりとりをしながら、たがいに影響をあたえあって
すべてのセンテンスが作品の主題と有機的につながっている。
「エゴイストたち」が、まったく他者の話に影響されず、影響をあたえようともせず
したがって無意味な会話をしているのが不気味なのだ。

「特殊な変化」を納得できるかたちで表現する過程が小説であり
すべて「突然」では、「ストーリー」と呼ぶことさえためらわれる。



「人間の心理を恣意的に操作するな。外的環境を操作してバリエーションゆたかな反応をひきだしなさい」人間の心理のバリエーションとは、登場人物の喜怒哀楽、絶望、憎しみ、有頂天、尊敬、欺瞞、幸福、満足、などを適当に書くことなく、ゆたかな反応をひきだす。私には人間が書けていないのでしょうか? エゴイストであるだけの人間や、おろかな内面のない人間、価値観のゆがんだ人間。人間はそんなに単純なものでないわけですね。性格、人格は特殊な事件によって変わっていく。


原則として
人間の言動は「刺激」と「反応」の連鎖だが
「刺激」(事件)がないのにドラマチックめいた言動を書こうとするから
あらゆるシーンが「突然」であり
「人間の心理を恣意的に操作」していることになる。



山崎は私にとっては、聖人です。患者のことを本当に思っている。どうしたら山崎を生きた人間にできるのか? 「人間の心理を恣意的に操作するな。外的環境を操作してバリエーションゆたかな反応をひきだしなさい」。他の人との深い会話の中で、もっと生きた人間にすることができたと思います。山崎については、読者からもいい人間か悪い人間か分からないという指摘がありました。私としては100%聖人なのです。「生きた人間ではない」山崎。人間てなんでしょう? 時間をかけて、そこから考えないといけないと思いました。小説って、人間を書くことだったのですね。

どんなつもりで書いているのか、その姿勢、意志の強さなどどうでもいい。
無償の愛を体現した聖人をえがくのに「製薬会社の営業」と「患者」として出会わせ
「ベージュがかった渋いピンク」のスーツという服装をあたえて
「そんなに大量の睡眠薬を失くしたことがバレると、俺は会社を首になる」と言わせる必要があったのか。


「狂気」は荒唐無稽ではない。それはなんとなく自分でも分かっていて、文章を無茶苦茶に書けば狂人を表せるものではないな、と。「瞬間ごとの気分しか書こうとしていないところが最大の欠点」。これは瞬間ごとに起こった気分しか書いてないから、人間らしさを形成することができない、ということでしょうか?

「瞬間ごとの気分」が妥当なものであると読者に納得させるには
一貫した性格、行動理念がなければならない。
この「一貫した性格、行動理念」を想定しながら書いているとは思えない。



「主題そのものを書くべきでない」の意味は、「自殺願望」でしょうか?


そのとおり。
自殺願望がある人間に「自殺願望の原因」を聞くだろうか。
まして、精神科医が。



「探りを入れた」は、辞書を引いても間違いではない気がします。


用例をチェックしてほしかった。
誰かに「聞いた」ですむのに
こんな書きかたをする必要があるのかどうか。



これは妄想です。でも語り手にとっては現実です。中間のようなものです。

解釈の妥当性を確認したのではない。
不正確な文章だと言っているのだ。
当然ながら
「中間」であることが
一読して分かるように書きなさい。



ノイズが気になる人が他に二人いたのです。

解釈の妥当性を確認したのではない。
不正確な文章だと言っているのだ。
当然ながら
「ノイズが気になる人が他に二人いた」ことが
一読して分かるように書きなさい。



「その時」は、子供のヘビに言われた時ですが、不明瞭でしょうか?
自分一人で生きていくのは、天敵もいるし、大変だったということです。「ある日」なにが起こったか、もっと詳しく書くべきでしょうか?


もちろん言いたいことは最大限好意的に解釈してやれば分かるし
この飛躍を生かすこともできるかもしれないが
このパート以外の文章があまりにも非論理的なので
同じように適当な文章に見えるということ。



これ以外に表現のしようがありません。すみません。

別にかまわない。
10代か20代前半の若者が中年男性の語彙で語っていてもいいなら。



これも、辞書をひいても分かりません。


「浮かぶ」は一般的に視覚。
「喧騒」は聴覚的ではないか。



「自殺願望には原因がある」。「焦燥感が原因だから」。でしょうか?

そのように書き換えたとき
「理由」「原因」があるのか、ないのか、矛盾していると気づかないだろうか。



「俺の辛さは、鬱病になったヤツにしか理解できない! 山崎にもドクターにもナースにも絶対理解できない。このふつふつと湧いて来る自殺願望」?


どういうつもりで加筆したのか不明。
「分からない」とつきはなすのではなく
分からせるように自分だけのことばで表現したいから
この作品を書いたのだと思ったが、ちがうのだろうか。

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