【通信講座】 小説「わたしを忘れて」 講評
宮部みゆき、宮本輝、松本清張、赤川次郎の長所をパロディー化し
短所を寄せ集めたような作品。
なかでも「軽さ」がもっとも特徴的だが
短所としては「軽薄」であり
長所としては、読みやすく、むだがない。
16/41 まで読んだ。
タロウには前にわたしの過去を打ち明けていたので、事情を察した彼がすぐに持っていたライターで、黙ってその手紙を燃やしてくれました。――このことは忘れろ――とタロウが言ったので、わたしもそうしようとしました――いいえ、実際は忘れることなど出来ませんでした。
語り手が「蒲原の金属バット殺人事件の少女A」
であるというのが「過去」の内容だが
軽薄きわまる。
このくだりで、読む気をなくした。
近現代の文学はこのような告白に100万通りの表現を模索し
いまだにこたえを見いだせず、探究の途上だというのに
1行で書き流している。
安楽死、殺人、フラメンコ、タロウ(ゲイ)との関係(三角関係?)と
作者の興味は次々に上すべりしていくだけで
足をとめて思索を深める気がないらしい。
人間の内面に興味がないらしい。
(作者より)
カルチャーセンターの講師の方は、これはエンタメだから群像に送るのは間違いだ。
と言われてしまいましたが、どの辺りがエンタメなのかがよくわからないです。
講師の方に何回か聞いても、抽象的な話しかされないので、困ってます。
今回の作品は重いテーマで、書いていても病みそうな、安楽死を取り上げました。命の格差を批判しているつもりですが。
テーマの絞り方や全体の構成など、川光先生が気になった部分をとりあげて頂きたいです。重ねてよろしくお願いします。
「エンタメ」であるというより、狭義「文学」ではないので
芸風が似ている作家が属しているカテゴリーに片づけられただけ。
『【通信講座】 小説「セイコの瞳に地平を駈ける獅子を見た」 講評』で
直木賞受賞作を基準に考えれば
エンターテインメント小説、「大衆小説」とは
ミステリー、時代小説、恋愛小説、ジュブナイル、ファンタジー、ビルドゥングスロマンのことであり
そのどれでもないという意味で
これはあなたが書こうとしている小説ではない。
と書いた。
しいて言えば
この作品は恋愛小説、ビルドゥングスロマンに似ている。
「テーマ」が「安楽死」だということを
作者のコメントを読み返すまで忘れていた。
作者は「安楽死」を書いていない。
あるいは、書きつくしていない。
いずれも生涯をかけて探求すべき「テーマ」を
軽々しく(「軽薄」)とりあげすぎている。
まさに「テーマの絞り方」が、あまい、というより
まったくしぼれていない。
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