【通信講座】 小説「何尭」 講評
カフカ風の短編。
『家父の気がかり』を彷彿とさせる。
きわめて練達した手腕を感じる。
特に言うべきことはない。
以下の講評はすべて「しいて言えば」。
(作者より)
気になる点は、この作品は読者を強烈に惹きつけるものか、
あるいは幻想的な作風になっているかということです。
構想としては、「ぼく」が何尭を育てる話です。
意図としては、何尭が天井を突き破るほど生長した=不条理なことが条理通り起こる、と取れるよう書きました。
「強烈」かどうかは分からないが
ある特定の層の読者は作品の技巧を理解してくれると思う。
まちがいなく「幻想的な作風」ではあるが
カフカ的であるという以外にさしたる特徴がないとも言える。
「構想」「意図」は
まったくその通りだが
作者自身がこの作品の潜在的価値に気づかず
「構想」「意図」以上のものを書きえていた可能性を殺しているように思う。
現在、この作品は
精神分析小説、エディプスコンプレックス小説にすぎない。
人間がおのれの魂の怪物とのみ戦えばよかった最後の平和の時代、ジョイスやプルーストの時代は過ぎ去ってしまいました。カフカ、ハシェク、ムージル、ブロッホ、これらの作家たちの小説において、怪物は外部からやってきます。そしてそれは「歴史」と呼ばれているものです。もうそれは冒険家たちの乗る列車のようなものではありません。それは非個人的なもの、統御も予測もできない理解を絶したものであり、そしてだれにも避けられないものです。中央ヨーロッパの偉大な小説家たちの集団が近代の最後の逆説に気づき、これに触れ、これを捉えたのは、このとき(十四年の大戦の直後)です。
クンデラ 「小説の精神」
幻想に耽溺するだけの小説を創作することにも
積極的な意味はあるが
あたらしい文体は
あたらしい世界観、人間観、価値観、思想、哲学の体系を創造できる。
われわれがすでに通過したカフカと比較され
精神分析小説、エディプスコンプレックス小説の枠内でしか
この作品の価値を語れないのはおしい。
もっと大胆に
人間の思考、社会の関係性、世界の構造を書き換え
常識を根底からくつがえすことのできる作者だと思う。
ご健筆を。
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