【通信講座】 小説「生まれつき機嫌が悪い」 質疑応答②
千本松由季 Official Blog
私の作品に新しさがない、という問題でした。私自身が今、生きて行くのがとても辛いせいで、登場人物がかわいそうになって、深い苦悩、葛藤を与えることができません。漱石の『草枕』のように、大きな事件も起こらない穏やかな小説というのもありますよね。もちろんあの作品は、漱石の芸術に対する深い知識があってこそ魅力的なのだと思いますが。深い苦悩、葛藤なしで、新しく面白い小説を書く方法はないのでしょうか? 最初から最後まで楽しくハッピーで、しかしつまらなくない作品が書きたいです。それにはよほどのセンス、想像力が必要なのでしょうか?
川光 俊哉 Toshiya Kawamitsu
まず、読書体験と創作はまったく別の営為です。
共感・感情移入によって「読者」的に作品を書こうとしているようですが、
それは「作者」の仕事ではありません。
「つまり、彼らが前世代の詩を、それが頭脳に残す味覚のために賞賛したこと自体は正しかったのだが、そういう味覚を読者の頭の中につくり出す過程で、頭の中の味覚のようには感じられない仕事をひじょうにたくさんやらねばならないことを見逃した。そのため、頭の中に概念として一つの味覚をもち、それをそのまま紙に移そうとしたために、彼らのつくり出したものは輪郭のぼやけた、ひとりよがりで面白くないものになったのである」
エンプソン『曖昧の七つの型』
小説に派手な事件が必要だとは思いません。
「あたらしい」とは、人間に対する「あたらしい」視点のことで
漱石ならばどんな出来事にも独自の思想を表現できるでしょうが
リアリズムで書こうとする場合、一般的な状況からは
一般的な反応しか引き出すことができないので
特殊な状況が必要だということです。
『草枕』も作品が許容するリアリティーのなかで
ちゃんと特殊な状況が選択されているはずです。
千本松由季 Official Blog
テーマに関する質問でした。私のテーマが安易で軽過ぎるということでした。傑作と呼ばれる小説は必ず深刻なテーマを含んでいるものなのでしょうか? 男女がハッピーに結ばれて終わり、というような軽いテーマだとやはり軽くみられるのでしょうか? 軽いテーマが書きたいです。また、「感情そのものは表現できない」の意味は、主人公が幸せだった、とか悲しかった、などと単純に書き表せないということですよね?
川光 俊哉 Toshiya Kawamitsu
テーマの軽重を測定する客観的な尺度などありません。
「今夜の食事はどうするか」が「神は存在するか」より切実であることは十分にありえます。(ゴーゴリ『外套』)
テーマそのものが「安易で軽過ぎる」のではなく
解決の過程になんら困難が生じていないので、結果的に
たいした問題ではなかったという表現になっているのです。
(「感情そのものは表現できない」)
「幸せな家族はいずれも似通っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」(トルストイ『アンナ・カレーニナ』)
「神は存在するか」は
探求の過程がすでにドラマチックで、その回答はかならず個性的になるでしょう。
「今夜の食事はどうするか」をおもしろく書くには
シェイクスピアの喜劇のように文体、構成を技巧的にしなければならないでしょう。
千本松由季 Official Blog
「キャラクター、プロットも狭義の固定された制約ととらえる必要はない」というのはとてもよく分かりました。変化するキャラクターにふさわしい場と人物を与えるのがプロットなのですね。もっと自由に発想していこうと思います。パズルを作るように、楽しく組み合わせていけばいいのですね。しかし、まだいいキャラクター、プロットを作る自信がありません。大きな悩みです。
川光 俊哉 Toshiya Kawamitsu
がんばってください。
千本松由季 Official Blog
文体に対する質問でした。最近私は簡単に読める文章ばかり書いています。もっと難しい文章を書いた方がいいのか悩みます。小説の文章が内容にふさわしい形式になるとしたら、私の小説には難しい内容がないということなのでしょうか? それは悪いことなのでしょうか? もっと野心を持って、色々な文体にチャレンジしていくべきでしょうか?
川光 俊哉 Toshiya Kawamitsu
むずかしい文章があるとすれば(「つまらない」の意味でないなら)
それは「あたらしい」視点から人間を観察しようとしているからです。
いままでになかった、その作者だけのことばで表現されたとき
まったく知らないものを突きつけられた読者は
眩暈と戦慄におそわれるでしょう。
「むずかしい」「簡単」などというつまらない価値判断はおやめなさい。
ヘミングウェイ、フローベール以外の大作家は
ほとんどが悪文家です。
バルザック、メルヴィル、ドストエフスキー、エミリー・ブロンテが
なにか「あたらしい」ものを書こうとしたからです。
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