オットー_ネーベル

【通信講座】 小説「アカシジアの宵」 質疑応答②





「精神に病を持つ主人公が、大人になっていく」
漠然としている。
古今東西のあらゆる作品にあてはまる。
「主題」に問題があるというより、「大人になっていく」過程がまったく表現できていないことを自覚すべき。
作者と面識はないが「私自身に似たキャラクター」がいるとも思わない。
「変化」をあたえられるような
特殊な「状況」がないのだから、当然のこと。

この最後の部分に私の作品の拙さが全部書かれていると思います。私は主人公を葛藤の中に置き、成長していく過程を書いたつもりだったのに、それができてない。


「葛藤の中」に置くのではなく
葛藤できる「特殊な「状況」」に置きなさい。

私が「葛藤」をどのように定義しているか
確認しなさい。

内面における信念の「対立」を
「葛藤」と呼ぶ。
ダイエットしたい ── 食べたい
死にたい ── 生きたい
このような「対立」が「葛藤」だが
ひたすら苦しんでいるポーズをとるのは
単なるナルシシズム。

「主人公」は
「葛藤」していない。
「ひたすら苦しんでいるポーズ」をとっているだけだと言っている。


日常的なつまらない場面、出来事、登場人物の弱い独白では、いいプロットにならないのですよね。事故、事件、ありえない出来事を通して、読者に訴えかけることができる。でも、時々、少しの間、登場人物のくだらない会話、独白によって、読者を楽しませることもありますよね? 私はだらだらした意味のない会話、独白も好きです。

あえて言えば
登場人物のくだらない会話、独白によって、読者を楽しませること」はない。
そんなことを意識しながら書かなくても
「登場人物」が生きていれば
結果的に
作品の「くだらない」部分も自然と生動する。
「くだらない会話」を書くことが目的なのではない。
作品自体が「くだらない」ものになる。


私はだらだらした意味のない会話、独白も好きです

どうでもいい。

読者を感動させるために
作者が感動しながら書く必要はない。




時々、少しの間
程度の問題ではない。
卑劣な逃げ道を用意しながら書くような人間を
私は軽蔑する。

ちょっとばかり芸術的な、ちょっとばかり良心的な。……要するに、ちょっとばかり、ということはなんてけがらわしいんだ。

三島由紀夫

日常的なつまらない場面、出来事、登場人物の弱い独白では、いいプロットにならない」ではなく
それは書く必要がないことで
プロットを構成する要素にはならない。

事故、事件、ありえない出来事を通して、読者に訴えかけることができる
ではなく
正当性のある「ありえる出来事」でなければならない。

『吾輩は猫である』は
全編が「くだらない会話」だが
夏目漱石は『文学論』であきらかにした小説の条件を前提としながら
完全に例外的な実験小説として書いている。



主人公や登場人物にもっと過激な体験をさせればいいのでしょうか? 今の私の小説は柔らかいものが多いです。昔の作品はそうじゃなかった。暴力もあったし、生き死にの話もあったし。裏切りや、愛憎もあった。そういうもっと力強い葛藤が必要なのでしょうか? それから、「いかなる変化をさせるのかという計画から逆算してもっともふさわしい場と、そこで関係を結ぶ人物を考える」という部分がよく理解できません。逆算するということは、先に変化をさせる計画をして、あとでプロットを構成する、ということですよね。ここが分からないから、上手く書けないような気がしてなりません。


「つまらない」を「柔らかい」と言い換えても
価値は変わらない。
「昔の作品」など知らない。
本当に「力強い葛藤」があったのか
疑問を持たざるをえない。

「過激」であるかどうかなど問題にしていない。
書く価値のある「体験」が存在しないと言っている。

「主人公が受験をのりこえて大学に合格する」小説を書く。
「ひたすら自分の頭の悪さをなげく」(小説「アカシジアの宵」)というシーンに
効果がないことを知っているので
はじめから書かない。
「試験に落ちた」というエピソードをつくるだろう(「もっともふさわしい場」)。
同級生は合格するかもしれないし、
浪人仲間ができるかもしれないし、
高校の先生はあきれるかもしれないし、
予備校の先生はいい人かもしれない(「関係を結ぶ人物」)。

あなたは
「ひたすら自分の頭の悪さをなげくが、(なんの「体験」もせず)なやんだ甲斐があって(なぜか)合格した」
という小説を書こうとしているのだ。
「変化」を表現できるだろうか。
これは小説だろうか。


「プロット」の発想がない
というのがどうしても理解できない。
「なにも考えずに書いている」
にひとしいが
創作にかぎらず、人間の営為で
「考えずにやる」ということが
可能なのだろうか。



「表現したい情動、達成すべき目的、実現すべき効果から逆算して
「ストーリー」の要素を選別しならべなおしていくのが「プロット」。 」

特に、「逆算」の意味が分かりません。普通はプロットを作るのが先ですよね? もう少し詳しく説明していただけると幸いです。


なににひっかかっているのか分からない。
「普通」も分からない。
作品を書こうとする前に、作者の意図があるはずで
意図にかなった、満足のいく結果を残すためには手段を熟考すべき
と言っているにすぎない。
私はそれが「普通」だと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?