小説「天上の絵画」第二部
展示会最終日。
いつものように絵の前に座っていると、一人の女性スタッフが声をかけてきた。白銀の髪に柔らかい雰囲気の女性が「毎日熱心に見にこられていますね」と微笑んだ。
弥栄子がこの絵の魅力を語ると、女性は「そんなふうに見ている方は初めてです」と目を細め口元を綻ばせた。
「実はこの絵は、十九世紀初頭に描かれたと言われているんですが、それ以外のことは何も…。作者もタイトルもわかっていないんです」
展示されているどの絵にも、作者とタイトルが書かれたプレートが掲示されていたが、この絵だけ短い説明文が書かれているだけだった。
「状態もあまり良くないので、一般の方にお見せするのは今回が最後になると思います」女性がなぜか申し訳なさそうに言った。
残念だったが、この絵からもらったものは、弥栄子の心の中にしっかりと焼きついている。
「好きなだけご覧になっていってください」恭しく頭を下げた女性に礼を言った。
閉館の一時間前に事務所を覗くと、先ほどの女性が顔を上げて眼鏡を外した。
「お帰りですか?」
ありがとうございましたと弥栄子が言うと、女性が「なんか雰囲気が変わりましたね」と目尻を下げた。
「最初見た時は、顔色も悪いし様子も変だったから、ちょっと心配だったんです」毎日同じ絵の前に憑りつかれたように佇む弥栄子を心配し、何度か声をかけようかと迷ったが、人を寄せ付けない思いつめた雰囲気に躊躇してしまったと、正直に打ちあけてくれた。
「でも今日はいつもより雰囲気がいいみたいだったから、それでさっき声をかけてみたんです」
余計なお世話だったらすみませんと、申し訳なさそうにしている女性の姿を見て、胸が締め付けられた。どうやら自分は知らず知らずのうちに、見ず知らずの他人にまで心配されていた。あまりに身勝手だった自分に気がついた弥栄子は、自らを恥じた。
(つづく)
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