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小説「償いの形 第1話」自作小説を無料公開中

朝目が覚めると、日課になっている、ジョギングに出かける。

ここ何年か、毎朝決まって五時に目が覚めてしまう。

目覚ましはかけていないのだが、気が付くと時計の針が五時を指している。

寝不足というわけでないので、あまり気にしていないが

まるで見えないものに追い立てられているようで、気味悪く感じることもある。

トレーニングウェアに着替えて、外に出ると寒さで全身が強張った。

家の前の空地には、霜が降りている。

もう一枚、なかに着た方よいか迷ったが、走っていればすぐに暖かくなるからと、玄関に鍵をかけた。

東の空がオレンジ色に染まり始めた。

夜から朝に切り替わる瞬間、世界が目覚めようとしている瞬間の、穢れのない澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

まるで別世界に降り立ったような感覚がする。

いつもの決まったコースを走っていると、愛犬を散歩している老人とすれ違った。

「おはようございます」とお互いに頭を下げる。

ほぼ毎日この場所ですれ違っているので、自然と挨拶を交わすようになった。

それ以上特に話すことはないし、名前も知らないが

心の奥がほんのり暖かくなるから不思議だ。

三十分ほど走った後、玄関先で息を整えると、シャワーを浴びた。

シャワーから出ると、スマホがかすかに点滅しているのが見えた。

開くと一通のメールが届いていた。

知らないメールアドレスだったので、またいたずらメールかと思い

無視しようかと考えたが、メールのタイトルを見て、凍り付いた。

『浅川ふみえを覚えているか?』

心臓の音が耳元で大きく聞こえた。

急に喉の水分もなくなり、慌てて唾を飲み込んだ。

「なぜ浅川ふみえの名前を知っている、、、」

小刻みに震える指でメールを開いた。

『浅川ふみえを覚えているか?

私はお前が彼女にしたことを知っている。

お前のせいで彼女は傷ついた。

私はお前を許さない。

お前には罪を償ってもらう』

ここで文面は終わっている。

うわぁーと声を上げると、スマホを壁に向かって投げつけた。

壁にぶつかってバウンドしたスマホは、床を滑り足元まで転がってきた。

ぶつかった衝撃で画面にはひびが入っていた。

そのひびがちょうどメールの「浅川ふみえ」と重なり、歪んで見えた。

浅川ふみえとのことを知っているのは、桃原信哉しかいない。

スマホを拾い上げると、信哉に電話をかけた。

まだ寝ているのか、いっこうにつながらない。

焦りと怒りで、スマホを持つ指が震えている。

結局留守電話に変わったので、仕方なく「すぐに連絡がほしい」とメッセージを残して電話を切った。

電話を切ると、ベッドに倒れ込み、頭を抱えた。

最後に見たふみえの泣き顔が、頭に浮かぶ。

あれは、もう三年も前のことだ。

なぜ今更、こんな連絡がくる・・・。

もう忘れようと記憶の奥に封印しようとしていたのに、無理矢理鍵を壊され扉をこじ開けられた気分だ。

そもそもメールを送ってきたの誰だ。

いったい何が目的なんだ。

罪を償ってもらうとはどういう意味だ。

考えても考えても、永遠のループに入ってしまって、ゴールには辿りつかない。

思い切って、このメールに返信をしてみようか。

スマホを操作し、メール画面を開いたが、思い直して手を止める。

メールの送り主がどういう考えがあって、こんなメールを送りつけてきたのかわからないが、こちらが返信をすれば、相手の思う壺のような気がする。

送り主は、こちらから連絡がくるのを待っているのでないか。

焦ってこっちからメールを送り返したりすれば、今後、何を言われるかわからない。

ここは、あえて何もせず、相手の出方を待つ方が得策かもしれない。

ベッドの上で、頭を悩ませているうちに、家を出る時間になってしまった。

身体を起こし、髪を整え、ジャケットを羽織って家を出た。

マンションの前でタクシーを拾うと、行き先を告げる。

タクシーの運転手を始めて日が浅いのか、急ブレーキを踏むは曲がるたびに身体が揺れるはで、落ち着くことができなかった。

おまけに道を間違えて、余計に時間がかかった。

結局いつもより十分ほど時間かかったので、その分の料金は払わないと運転手に言うと、謝るどころか、ちゃんと払ってもらわないと困る、そちらの説明も不十分だったと言いがかりをつけてきた。

頭にきたので、一万円札を運転手に向かって投げつけ、そのままタクシーを降りた。

あのメールの一件といい、朝から気分が悪い。

こういう日は、悪いことが続くものだ。

ビルの三十五階にあるオフィスに着くと、何名かのスタッフが挨拶をしてきたので、片手を振って答えた。

社長室に入ると、秘書の川上明日菜が立ち上がって腰をおった。

「社長おはようございます」

白のワンピースに、紺のカーディガンを羽織り、黒のハイヒールを履いている。

艶のある黒髪を肩口までのばし、やや吊り目の大きな瞳と、ピンクのチークを塗った頬に、赤い口紅が目立ている。

丸顔で親しみやすい雰囲気のおかげで、取引先からも評判がいい。

仕事も卒なくこなしてくれるので、優秀な部類に入る。

「・・・ああ」

軽く返事をすると、鞄を渡しジャケットを脱いだ。

「珍しいですね。遅刻なんて」

「時間通り家を出たが、タクシーが道を間違えたからだ」

あの時の運転手の態度を思い出し、気分が悪い。

「ですから、お迎えの車を用意しますと何度も申し上げているじゃありませんか」

「今どき迎えの車なんて、誰が使っている?」

「MI自動車の轟社長は、使っているみたいですよ」

タヌキ顔で、手を叩いて大笑いしている轟の顔が目に浮かんだ。

「あの人は、そういう権力の象徴みたいなものが好きなんだ。周りに自分の力を誇示して悦に入ってるだけだ。そんな成金社長みたいな真似はしたくない」

明日菜が口元を隠して、くすっと微笑んだ。

その仕草が可愛らしく見える。

その時、ドアをノックする音が聞こえ、我原渉(がはら わたる)が部屋に入ってくるのが見えた。

眉毛をハの字に曲げ、強張った表情で入ってくる我原を見て、嫌な予感がした。

「どうした?」

「あの・・・先日専属契約が決まった、光友ファイナンスの件ですが」

光友ファイナンスは、東証一部上場企業で金融業界では、三本の指に入る大企業だ。

その光友ファイナンスと我が株式会社リッツデザインの専属契約が正式に決まったのが、先週のことだ。

今後の金融緩和と株式の自由売買を考え、光友ファイナンスが株式売買用のアプリ開発に力を入れているという情報を手に入れた我々は、すぐに光友にアプローチを開始。

我々の制作したアプリがいかに使いやすく、デザイン性でも優れているのか、プレゼンを重ねた。

さらに昨今、最も重要視しなければならない、個人情報の取り扱いについても、自社で構築したセキュリティソフトが、塵一つ外に出さない強固なものであることを、光友の幹部の前で証明した。

もちろん同業他社も名乗りを上げてきたので、それぞれのアピール合戦は泥仕合と化した。

我々もオフィスに泊まり込みで資料を作成したり、他社との比較材料を集めるのに奔走した。

自分自身、寝る間も惜しんで駆けずり回っていたため、あの頃の記憶はいまだにはっきりしない。

そのかいあってか、先週、専属契約をすると光友の担当者から連絡があり、社内は歓喜の渦に包まれた。

まだ正式に契約書にサインしていないが、来週には光友の社長との場を設ける予定だ。

その光友がどうしたというのだ。

「光友ファイナンスがどうした?まだ正式契約の日時は決まっていない。向こうの返事待ちだ」

「それが、今朝担当の下平さんからメールが来まして、契約を白紙に戻したいと・・・」

床が突然抜け落ちてしまったような衝撃に襲われた。

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