夏の暑さと秋の暑さ
台風一過の今日(10月2日)、からっとした晴天というだけでなく気温も昨日より10度近く、30度にまで上がった。気温だけ見れば夏と見まごうほどだ。
一昨日のこと。たまたまお昼時に入った食堂でテレビがついていて、土曜日は夏の暑さに逆戻りですよとお天気キャスターが茶目っ気たっぷりの口調で言っていた。とっさに、そんなはずはないだろうと思った。気温が夏並みに上がるという予報を疑ったのではなく、夏季と今とでは湿度が違うだろうと考えたからだ。3年前に訪れたモロッコのメルズーガ砂漠は湿度がほぼゼロで、陽射しを避けている限り、40度近い日中もさほど暑く感じなかったのを覚えている。暑さの感覚は気温だけでなく湿度にも大きく左右されるのだ。
古今和歌集には藤原敏行の有名な歌が収録されている。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
初めて聞いたのがいつなのかは忘れたけれど、なぜかずっと記憶に残っている。たぶん残暑の残る9月頃にこの歌を聞き、ふとした時に吹く秋風を感じて歌われた情景をまざまざと実感したからなのだろう。暑い暑いと言いながらも、確かに風はもう秋風だよなあ、と。
そんな事を考えていた時、高橋睦郎高橋さんのの『百人一首』(中公新書)が目に留まった。小倉百人一首にもやはり、藤原敏行が詠んだ恋歌が収まっている。
住の江の岸による波よるさへやゆめのかよい路人めよくらむ
本のなかでは「秋来ぬと」への言及もある。高橋さんの解説を読んでいて思わず声を上げそうになった。
この歌はほんらいわが国の季節感とはずれのある中国の暦を直輸入して用いたため、暑さの最中に秋の到来を感じなければならない気分をいったものだが、藤原氏の支配がようやく確立した時代に早くもその凋落を予感した歌と取れなくもない。
「秋の到来を感じなければならない。」この一文を目にして私は呆然となった。要は秋など微塵も感じないという状況で、自分を欺くために詠まれた歌だったわけだ。
藤原敏行の歌を思い浮かべながら、10月の暑さは夏の暑さとは違う、などとひとり悦に入っていた自分が急に恥ずかしくなってきた。
もしやと思い気象庁のホームページをクリックした。ここには1876年以来の相対湿度の月平均値が載っている。近年(2020年)の東京の値を見てみると、8月が76%で10月は75%。ほとんど同じではないか‥‥‥。
名前は分からないけどあの時のお天気キャスター、正しかったのはどうやらあなただったようです。