2024年 9月5日 木曜日 徒然日記 Counting Blessing…
皆さん、おはようございます。徒然日記のお時間です。今日もここから、じっくり、ゆっくり、丁寧に綴っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
今日はまた少し暑くなるみたいですね。残暑が厳しいです。
さて、何書こうかなぁ…
最近、パリパラリンピック見てましてね。まぁ、さすがにリアルタイムではみられないんすが、録画して朝から見ています。
とにかくメダルラッシュですね、金メダルも出ています。個人的には車いすラグビーの金メダルが熱かったです。毎回、銅メダルどまりだったので、本当に良かったと思います。
しかし、彼らを見ていてすごく思うのが、彼らには「足」や「手」があるんだと思います。
なんて言ったらうまく言い表せるか、いい言葉が見つかりませんが、車いすラグビーの選手にも「足」はある気がしてなりません。
失ったものを憂うより、あるもので補う…足が無くても車いすがある、タックルも出来る、トライも出来る…紛れもなく「足」はある気がしてなりません。
自分の場合はどうなんだろうって思いました。精神疾患がありますが、間違いなく「心」はあります。それは不安定になったり、嬉しかったり、哀しかったり、喜んだり、落ち込んだり…浮き沈みはありますが、「心」はあります…
失くしてしまった感情を憂うより、今ある感情で、言葉で「心」を補う…それは健常者となんら変わりはありません…
そう、誰にだって、言葉はあるんです。心の中に秘めた言葉が…
それを上手いこと汲んで、表に発する…それは「心」の叫びです。無ければ補えばいい…心にも車いすはあるんですね。
無くしてしまった「足」の代わりに、「心」の代わりに、車いすがある、それはどこへでも行ける、心は無限に広がります…車いすだって世界のどこへでも行けます…,
無くしてしまったからこそ、無限の広がりがある、可能性がある、そんな気がしてなりませんでした…
それはもちろん、足も心もあるに越したことはありません。でも、無いからこそ、他の人では気づけないものがある、感情がある、生み出せるものがある、それは時に健常者でも思いつかないものかも知れません…
あまり健常者という言葉は、使いたくありませんでしたが、区別をするためにあえて使いました。なんか使ってしまうと、障害を盾にして、逃げているような気がして…
でも、自分達にも心はある、車いすでも足はある、ハッキリと言いたかったんですね。
無くしたものを憂うより、今あるもので補う…それは時に、あるものを越える可能性があるんじゃないだろうか、他の人では気づけないものがあるんじゃないだろうか…そんな事を思う今日この頃でした…
追伸
今日の一曲…槇原敬之 Counting Blessing