第4話 高校時代

中学校を3ヶ月しか通わず、宮城県で1番不良が多いであろう高校に進学した思い出を書きます。

入学式当日、朝6時過ぎに家をでて学校に向かう。
なぜこんなに早いのかというと、自分の家からまずはバスを利用し20分、そこから地下鉄で仙台駅までが15分、そして電車も乗り換えあるものを利用するため1時間。
乗り継ぎの時間も考えると2時間かかる通学の開始である。

学校に行って最初に驚いたのは、不良漫画に出てくるような頭に戦艦が乗っているかのリーゼントで特攻服を身にまとった同級生たち。

後から聞いた話だが、入学した当日に他校の生徒を殴り退学をしたという猛者もいたらしい。

暴走族の頭も何人もいる学校に中学校に3ヶ月しか行かなかったも自分が通ってしまった。

皆と同じ青春を知らない男、これが自分の青春の始まりであった。

学校に入学して最初にしたことは、サッカー部の部員勧誘。
隣の席にいた人間2人に声をかけた。

1人は中学もサッカーをしてきた生粋のゴールキーパー、もう1人は卓球部に所属していたためサッカーに向かない体質であったが、女の子にモテるという私の甘い誘惑に誘われサッカー部に入部した。
(女の子にモテたことが無い私のたわごとにまんまと引っかかってしまった餌食である)

そんな感じで初登校日に2人の部員を勧誘し、私の高校生活は幕を開けた。

入学して2~3日のある日、授業が終わり掃除をしていると、やばそうな他クラスのヤンキーが自分クラスの友人に会いに部屋に来ていた。
もくもくと掃除をしていた自分、一応清掃当番だった同じクラスの不良。
まだ入学して数日のため秩序は保たれていたため、掃除が終わるまで一応クラスに留まっていたのだが、他クラスの友人がしびれを切らし、私に「お前ひとりで清掃しとけ」と暴言を吐いた。

何気に私は見た目と違い戦う本能が強い方なのと、中学校に行っていないという世間知らず秩序知らずの人間であったため、いかにも相当なワルを繰り返してきたであろうその不良に、「はっ?お前ふざけんなよ!お前関係ないだろ!」と怒り口調で睨みを効かせた。

それが功を奏したのか、その言葉の後には何も返答もなくその不良はその日から2年生で退学するまで自分に声をかけることはなかった。
ただ、他の生徒には金をせびるような恐喝を行っていたので、やはりそういう人間なんだろう。

そういう所からスタートしたが、サッカー部ではとても良い先輩方に恵まれた。
後にキャプテンになる一番あこがれた先輩は、サッカー部員なのになぜかボクシングもしているというこの学校だからこそある不思議なキャリアの持ち主だった。

35度くらいになる真夏の炎天下でも、上下ロングのウインドブレーカーを着てサッカーをしていた。
1年生の時にサッカーも上手いし体力もあるし、髪型も金髪のメッシュがかかってかっこいいし、自分のことをトシと呼んで可愛がってくれ本当に嬉しかった記憶がある。

そんな先輩にあこがれ、すぐにウインドブレーカーで練習をするという、今の時代では考えられないトレーニングをしていた。

自分の限界を追い込むというのはとても良い経験になると思う。
脱水症状になる可能性が高いトレーニングだったが、脱いだ時のフットワークの軽さは尋常じゃないくらいだった。

ドラゴンボールで例えるなら、数十キロの重りを背負って戦っていたあのシーンを思い出す。

呼吸も乱れないし疲れない、真夏でも涼しく感じる、体も軽い。
人がしないことをするという原体験はこういう所からも学んでいるのかもしれない。

サッカー部に入ったことで、生徒の大多数が不良である学校でも一目置いてもらえるようになった。
人間、何か特技があると認められるのだというのも体験として学んだ。

そんな不良学校では、1年生を終えるときに生徒の2割は辞めていく。
2年の終わりにもまた1割辞めていく。
また、授業も2時間目くらいまではかろうじて生徒はいるが、3時間目になると3割くらいの生徒がどこかに消えていき知らぬ間に帰宅している。

そんな学校でなぜか生徒会の副会長をしたりもした。
サッカーも人より少しだけ上手だったため、卒業の時は宮城県のサッカー協会の会長から賞状をもらえたりもした。
同級生で大学に行く人間など皆無だったが、私一人大学にサッカー推薦で行くことが出来た。

大学もまた遠い北海道であったが、遠くは慣れているので何の抵抗もなかった。

毎日部活で夜の帰宅が遅くなるため、行きは2時間以上かけての通学がったが、帰りは電車の1時間を短縮するために新幹線で帰っていた。
通学で新幹線を使う不良学校の生徒、なかなかのものである。

高校の制服を着て電車に乗れば、他校の女の子は同じ車両からいなくなるという仕打ち、これも人生で代えがたい経験である。

本気で書くと今の情報量の何倍もあるためこれから小出しにすると思うが、世の中には生徒のほとんどが不良の学校というものが存在し、そこには強者と弱者の上下関係が存在する。
弱いものは意味もなく肩をパンチされるという通称肩パンを受け、お金をせびられなくてもパシリに使われる。
不良がいる空間では非常に居心地が悪いため、いつも周りを気にしなければいけないが、でもそういう環境は社会に出るとある意味すごく良い経験だったと実感できることかもしれない。

世の中に出回っているような変ないじめのようなものは存在しなかったし、たまたま自分は一目置かれたために良い方で過ごせたが、もし悪い方になっていたとしても、社会の荒波に飲まれる前にそれを体験することが出来て本当に良かったと思う。

生き残るって本当に大変だ。
生まれてきて辛いこと苦労も沢山あるが、これって全て修行だと思う。
修行という言葉一つでどんなにつらいことでも、
「あ~またすごい大変な修行だな。。。でも修行だからしかないか」
と割り切れる。
生きてる意味って何だろうと漠然と考えていた不登校時代。
このまま自分の人生はどうなるだろうと考え、自分の好きなことにチャレンジしようと思ったあの頃。

高校に行って色々な人間関係を見て、自分はいつも誰かに助けてもらって生きていると感じられるようになった経験。

学校で勉強だけしてたら気がつけなかったろうな。
自分がやりたいと思うことは必ず叶う。
道のりはつらいことの方が多いだろうが、諦めなければ必ず叶う。

不登校でも周りの人に支えられれば夢を持って生きることが出来る。
自分も人を支えられるようになって、誰かに夢を持ってもらいたい。

頭が悪いとか関係なく、学歴なども関係なく、人それぞれの個性が価値を生み出す時代になって欲しい。
そんな世界を作りたいと、こんな高校時代を生きた人間が思っていることを発信しました。

次は大学時代を話しますが、社会人時代からはきっと、皆の有益な情報を発信できるかと思います。

得体のしれない人間が理想論を言っても馬鹿じゃないで終わるかもしれないが、こういう生い立ちをバックボーンとしている自分が夢や理想論を言えば、きっと興味を持ってもらえると信じているし、必ず皆の役に立てる自信もある。

これからの情報、楽しみにしていてください。

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