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「思考することをやめ、感覚的に作品を感受できれば、本作は正に『BGM (バック・グラウンド・ムービー)』と呼ぶにふさわしい作品」みく(思想家)
映画「サークルボイス(仮)」へコメントを寄せてくれた方を一人ずつご紹介してまいります。
2人目は、私、田中トシノリのアイドル的存在で同じ島に住む盟友、アナキストで思想家のみく君です。
みく「文字数どうします?指定してください」
僕「じゃあ200字程度でお願いします」
結果、656字となって送られてきたその熱量と愛を、ぜひ!
21世紀に入り、この世界はより混沌としてきた。移民排斥運動、ヘイトスピーチ、全世界的な右傾化、政府による国民の弾圧……文明の進歩に逆らって、もはや人類は「平和」や「調和」とはほど遠いところに来てしまった。
この世界では、ややもすると巷に飛び交う情報の多くも強迫観念じみたプロパガンダのように感じる。藝術作品もそうだ。映画だって例外じゃない。そういった潜在化されたメッセージを受け取っていると、すべてに懐疑的になり、なにかに触れるのも億劫になってしまう。
本作「サークルボイス(仮)」は、そういった押しつけがましさのない、実験的で稀有な映画だ。描かれるのは、美しい風景、日常の一コマ、人々のささやかなやりとりだけで、そこにストーリーや意味を見いだそうとすると、多くの人は戸惑うに違いない。しかし、そこにこそ本作の本懐があるように思われる。ここには、「ヒーロー」もいなければ、スカッとするようなわかりやすいプロットもない。だからこそ、わたしたちは作品をありのままに捉え、感じることが許される。思考することをやめ、感覚的に作品を感受できれば、本作は正に「BGM (バック・グラウンド・ムービー)」と呼ぶにふさわしい作品だ。
商業映画の枠組みから外れたその内容と向き合ったとき、わたしたちは映画という文脈そのものから解放されるような、一種の自由を感じることができる。抑圧された社会だからこそ、必要以上の意味づけを持たないこういった作品が多くの人に見られることを願う。
日常は、映画のようではない。映画こそ、日常のようなのだ。
みく(思想家)
みく君、ありがとう!
彼は絶対平和主義を掲げ、日々さまざまな表現活動をしています。詳しくは彼のマニュフェストをご覧ください。
映画「サークルボイス(仮)」
全国上映に向けてクラウドファンディング実施中!
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