日本人としての教養 ~節句と節供~
今日から7月になりました。
早くも半年が過ぎましたが、年度の目標に対して皆様をどのくらいの進捗率でしょうか?
コロナの問題で経済状況も良くない中で、上場会社の決算も600社以上が下方修正をしています。
業界にもよりますが、私たち文化に携わる人間はこういう時だからこそ、地に足がついた無理のない計画を立てたいですね。
七夕が近いということもあり、何度かにわけて節句についての話を展開していきたいと思っています。
今日もご覧いただいている方の発見につながるような内容を提供していきたいので、最後までご高覧いただけますと幸いです。
まずは自己紹介から始まりますので、ご存じの方は飛ばしてご覧いただけますと幸いです。
簡単に自己紹介
初めまして!
ご覧いただきありがとうございます。
田中俊行と申します。
私は金融業界出身で現在日本文化に携わる仕事をしています。
元々、実家がいけばなに携わる仕事をしていたのと、大学時代の専攻が美学だったこともあり、回りまわって現在は仕事の6割くらいを日本文化に関係する仕事をしています。
残りの4割は公益社団法人の運営とその1事業として補助金申請や経営計画立案など中小企業者様向けの経営に関するコンサルティング業務を行っています。
金融業界時代は証券業界に所属していました。
主には資産規模で5億以上の地域の富裕層をターゲットとして、金融だけでなく不動産などの金融以外の資産管理の助言を行っていました。
そのあと、自分自身が所属する日本では会員数最大、歴史は最古の流派である池坊華道会に所属し、2年間中で会員管理や、全国のいけばな教室のサポートを行っていました。
noteをやり始めようと思ったのは、以下の理由からです。
①日本の生活文化についてもっと多くの方に知識として知ってもらいたいということ、②日本は経済活動を中心に戦後復興を成し遂げてきたために、現在あまりにも文化的な教養の無い人が多いと感じるために多くの方々へメッセージとして届けたい、この2点です。
私自身、SDGsをEducate、いわゆるSDGsを教育するESD(ESDはこちらへ)ということに関心を持っていてそれに個人や公益社団法人の理事として取り組んでいます。
古くから日本の生活文化の中には、SDGsの持続可能性という言葉が無意識ながらに取り込まれていることを1つの研究材料として私自身がとらえる中で、日本の文化の独自性についてより知ってもらいたいと思ったのが日本文化の発信活動をはじめたきっかけです。
グローバルな舞台でも、AI化が進む中でも、より国民性や個性といったそれぞれが持つ多様性が大切にされる時代になっていくことと感じています。
それぞれが持つ独自の個性やその集まりであるその国の持つ文化が、世界平和の礎となるようにと思っています。
いけばなの先生をしている手前、いけばなに関することが中心になるかと思いますが、皆様の生活の中での参考になれば幸いです。
節句とは?
節句という言葉は、1年間の生活の節目を表しているもので、室町時代~江戸時代にかけて登場します。
元々、節供=「節日の供物」が語源で、これは稲作を中心とした節目の日に必ず神を迎え祀るという行事を執り行ってきたところから始まっています。
例えば、正月のお節料理というのは、節目の供物の代表例だと言えます。
五節供とは?
五節供は江戸幕府が制定しました。
日本では奈良時代にはすでに養老律令の雑令の中で、元日や上巳などの現在でいうところの五節供の節日(せつじつ)は定められていたそうです。
節日の日に天皇が宴会を行ったことからその行事のことを節会というようになりました。
元々は、天武天皇の命日である9月9日には節会は行っていなかったのですが、平城天皇になってから、9月9日にも会が催されるようになりました。
これにより、元日・白馬・踏歌・端午・豊明という「五節会」が定められました。
江戸幕府が制定したのは、正月7日の「人日=七草の節供」、3月3日の「上巳=桃の節供」、5月5日の「端午=菖蒲の節供」、7月7日の「七夕=竹の節供」、9月9日の「重陽=菊の節供」の「五節供」です。
厳密には、七夕は今では竹が飾られるので竹の節供ですが、平安時代にはなでしこの優劣を競い、その花の歌を詠み優劣を競う歌合せを行う「撫子合せ」が、室町時代には七夕法楽に花をもちより優劣を競い、その後に歌合せを行う「花合せ」が行われていました。
五節供の花について
五節供の花というものも、室町時代の『仙伝抄』といういけばなの古典書にも書かれています。
正月1日は松。7日は柳。
3月3日はツツジもしくはシャクヤク。
5月5日は花菖蒲。
7月7日は仙翁花もしくは桔梗。
9月9日は白菊。
これらはすべて旧暦になるので、今よりも時期としては約1ヶ月遅い計算になります。
下の写真は仙翁花の仲間の小倉仙翁です。
いけばな用の花材として、奈良の自宅に植えているものですが、本来は岡山より西の山間部の湿地帯に生息するといわれています。
今日のまとめ
元々、日本人は稲作を中心とした社会体制の中で、国家成立の過程を踏んでいることもあり、稲作に合わせた周年の行事を祭りとして執り行ってきました。
そのような中から始まった節目の日に行う祭りの際に神に供えるための供物である節供がやがて、奈良時代から平安時代に宮廷行事として節会として日程が定められました。
その後、時代を経る中で、徐々に神が仏教に取り込まれたことにより江戸時代になると、”せっく”という言葉の意味に、神祭りの影響が薄くなり、現在も残る季節の切れ目である”節句”という考え方が登場しました。
この作品のピンクの花はフシグロセンノウといって、仙翁花の仲間です。
https://www.instagram.com/p/B3CCjAbDbTR/?igshid=1j9dc30mni4ji
次回は、さらに話を展開していきたいと思います。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。
これは余談ですが、、
日本では2014年にユネスコの世界無形文化遺産に”和食”が登録され、日本料理をはじめとして、ラーメンに至るB級グルメまでの”和食”が今ではブランド化されています。
それにともない、海外からの旅行者から体験してみたい食事としても近年、大変人気がでてきています。
この話、若干認識が違っています。
実のところ無形文化遺産に登録されたのは”和食”の中でも”お節料理”だけだったのです。
それではなぜラーメンのようなB級グルメに至るまでの拡大解釈がされたのかというと、、、
①登録の際に”お節料理を中心として”という”中心として”の文言を加えておいたこと
②本来の管轄の文化庁ではなく、経済産業省と農水省が日本食の安全回復のために主導権をとってやったこと
③登録後に業界団体を巻き込んでのPRが優れていたこと
以上の3点が戦略的に他の無形文化遺産登録と比べて優れていたといえるのだと思います。
シンクタンク機能をもつ公益社団法人の理事として、日々、自治体や省庁とのやり取りに関しての話を聞いていると以上のような話も耳にします。
文化庁はそもそも文部科学省の下で予算規模も少なく、その点、経済産業省や農水省は予算規模も大きく、1桁か2桁違う予算規模がつきます。
文化に携わる人間は文化庁にどうしても目が行きがちでここを動かしにいこうとなりがちです。
しかし、実際は農水省や経産省、総務省、国交省などの予算を獲得していくことに頭を捻ることのほうがよほど効率が良いのです。
様々な関係事業者と分野を跨いだ連携をしながら、これらの省に働きかけをしていくということが日本の文化業界において、持続維持をかけてこれからは大切になるだろうと私自身は考えています。
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