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福沢諭吉の最初の著作は海賊版・「増訂・華英通話」(漢英辞書)。Excel版化に協力してください。同じ海賊版を出すなら「ウェブスター辞典」出すべきであった。

「増訂・華英通話」

福沢諭吉の最初の著作は海賊版・「増訂・華英通話」(漢英辞書)。Excel版化に協力してください。同じ海賊版を出すなら「ウェブスター辞典」出すべきであった。


「増訂・華英通話」(漢英辞書)Excel

[1]福沢諭吉はジョン万次郎と咸臨丸で渡米して帰国時に「ウェブスター辞典」だけでなく、「華英通話」(漢英辞書)を購入した。
 福沢諭吉のベストセラー「学問ノ ス々メ」は有名であるが、彼の最初の著作は海賊版・「増訂・華英通話」(漢英辞書)であった。「華英通話」はSan Franciscoの広東人・ 子卿が出版したものである。子卿は中国人のために「漢英辞典」を製作したのである。福沢諭吉は帰国直後、幕府・翻訳方で同僚達と一緒に利用するため、「カタカナ」で子卿が「漢字造語」したものと、英語用語に「カタカナ・ルビ」を振ったものを海賊出版した。私は「経済economy」などの「漢字造語」は福沢諭吉が先鞭をつけていたと思っていた。しかし、広東人・ 子卿の「華英通話」をパクリ、それに追加しただけである。辞書製作の苦しみなど味わっていない。帰国の船の中でJohn万次郎に発音を聞きながら記入したのだろう。子卿は「sun(日)、moon(月)、mars(火星)、mercury(水星)、jupiter(木星)、venus(金星)、satun(土星)」の漢字は星座を見ながら中国での名称を確認しながら翻訳したのだろう。辞書編纂の苦労は「一生の仕事」である。以下のサイトで全ページ閲覧できます。
「増訂・華英通話・上」慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション
https://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/fukuzawa/a01/1
「増訂・華英通話・下」慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション
https://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/fukuzawa/a01/2
プロマネの現場から第63回 『舟を編む』・・辞書作りの世界
http://www.issj.net/mm/mm08/03/mm0803-pg-bt.pdf
 現在、日本にあふれている「日本語・漢字用語」のうち、子卿が採用したものが大量にある。それは日本、中国で現在でも利用されているのだろう。星座のように目で確認できる場合は良い。しかし、「経済economy」「民主democracy」「自由free」などの目に見えない「抽象概念」で江戸時代には「禁制」で存在しなかったものは、福沢諭吉も困っただろう。そのままalphabetを国字化して、「economy、democracy、free」としていれば、我々、日本人子孫が「カタカナ英語」「造語漢字」に苦しむことはない。「増訂・華英通話」(漢英辞書)が日本の「学術用語」の「漢字造語」の原点であった。その後の「文明開化」で洪水のように第2次世界大戦まで「漢字造語」が始まった。第2次世界大戦後は、「漢字造語」が間に合わなくなり、「カタカナ英語」が1万字に増えた。alphabetを国字化するだけで良かったのに。
 当時の福沢諭吉の英語力は蘭学から切り替えて1年たらずであった。ジョン万次郎の助けがなければ何もできなかっただろう。たった26文字のalphabetのような辞書を短期間でできるわけがない。
 ちなみにジョン万次郎は日本での教育は受けていない、文盲の貧乏漁師の子倅であった。したがって、英語は読み書き、喋ることはできたが、漢字は書けなかったようである。しかし、「数学」「天文学」「造船」「航海術」は英語の知識と実務は優秀であった。嵐の中を「船酔い船長・勝海舟」の代わりに操船したのである。彼は既に鯨船で世界一周していた。
[2]福沢諭吉はなぜ「ウェブスター辞典」の海賊版を出さなかったか。
 私は海賊版が出せなかったのではないかと思う。それはalphabetを理解する人間がいなかったせいでもある。帰国後、「幕府翻訳方」の職を得て、仲間と「華英通話」をひきながら翻訳作業をしていたのである。その日本語は「漢字+カタカナ交じり文」の「文語体・候文」か「漢文」だっただろう。「造語漢字」には「引用説明文」を付けないと幕府役人は理解できなかっただろう。
 第2次世界大戦時以降であれば、小学生でもalphabetを習得しているが、明治維新であれば誰も理解できない。「ABCの歌」で覚えている必要がある。
 しかし、渡米時に一緒に買った「ウェブスター辞典」の海賊版を大量に出していれば、明治維新以降の留学できない青年が「独習」できたであろう。英語原本の本を「ウェブスター辞典」を「孫引き」しながら「漢字+カタカナ+alphabet交じり文」の日本語で翻訳したであろう。読解は理解できても、発音はできないか、福沢諭吉なみに貧弱な発音になるだろう。福沢諭吉の英語は米国人に通じなかったみたいである。
[3]中国人は「当て字・表音」でこの辞書を利用した。
「華英通話」を詳細にみると、英単語の下に「漢字・当て字・発音」が振られている。これで正確に発音して米国人と会話できたものかと感心する。多分ダメだろう。著者・子卿は広東人だったので、北京人には通じなかっただろう。これは日本では万葉時代に採用された方法である。「万葉仮名」である。日本ではカタカナが発明されてから「万葉仮名」は消滅した。中国では第2次世界大戦まで続いていた。現在、「ピンイン(pinyin/標準語・発音・alphabet)」が1958年 から採用されている。日本人は「ひらがな50文字」さえ覚えれば、小学生でも手紙をかける。中国人は漢字8000字を覚えなければ手紙も書けなかった。事実、第2次世界大戦以前の中国の識字率は20%であった。そこで、中国政府は日本を真似て1000年遅れて「中国版ひらがな/ピンイン(pinyin」を採用した。中国人は26文字のalphabetさえ覚えれば、一応、小学生でもピンイン で手紙を書けるようになった。そして、学校教育はすべて「標準語」にした。7大方言はなくなりつつある。私は1980年に中国を訪問した。瀋陽、北京、上海を北京の日本語が喋れる通訳と一緒に回った。上海のdinnerで「標準語」で喋っていた上海人が、突然、仲間内で上海語で喋り出した。北京の女性通訳に日本語に通訳してもらうように要請すると、「私は上海語が理解できない。どうせ、私たちの悪口を言っているのでしょ」と日本語で言われたのにはビックリした。上海人は中国で一番嫌われているらしい。
 現在中国人はword processorでピンイン入力でどんな漢字も打てるようになった。word processorがなく、「筆記」になると、当然、漢字が書けない場合がある。その場合はピンインで手書きするのかと思ったら、「当て字漢字」でピンインalphabetを使用しない。ピンインalphabetを使用することは「漢字を知らないことで、恥ずかしい」ことらしい。そこで同じ発音の漢字を「当て字」として書くのである。「万葉仮名」みたいである。「華英通話」の英単語の下の「漢字当て字」と同じである。我々は夏目漱石の「当て字」小説を読むと「誤字」かと思いビックリする。
[4]現在人がやらなければならない課題。「華英通話」のexcel化
 我々、現在人は現代日本人が使用している「造語漢字」のうち、「華英通話」に準拠するものを調査しなければならない。約1500語ある。「常用漢字」2,136字 であるから死語を含めたとしても過半数である。我々は知らなかったが「華英通話」が日本語に与えた影響は半端ないが、このことを日本人のほとんどの人が知らない。海賊版の被害者だから当然かもしれない。
 また、現在、中国で使用されている漢字で明治維新以降「漢字造語」されたものが多いと、一部の日本人が自慢しているが、「華英通話」で1500語が既に翻訳され、福沢諭吉に引き継がれていたのである。それ以降、日本語に「漢字造語」されたものが中国からの留学生などにより持ち帰られたのである。例えば「人民peaple」「共和republic」などである。
 「華英通話」は「天文類」などの「分野別辞書」である。「alphabet順」でないので検索に不便だっただろう。辞書というより「百科事典」なのかもしれない。excel化すれば、「alphabet順」「和訳フリガナ順」にも並びかえられる。
「華英通話」のexcel化を私一人でするのは大変なので「分業・集約・配布」したいと思います。200ページ弱ですので、1人1ページでも200人です。集約して完成すれば全員に配布します。excel化しても著作権違反になりません。福沢諭吉の海賊版からでも160年たっています。
占部聰長 toshi10@lcc-japan.co.jp

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