🙏鈴と童子と道元と🙏
「仏道をならふというふは自己をならふなり。
自己をならふというは自己をわするるなり。
自己をわするゞといふは、万法に證せらるるなり。
万法に證せらるるといふは、
自己の身心をよび他己の身心をして脱落せしむるなり」
歓喜童子を描き続ける治海の最新作が出版されました。
12月8日に発売です。
歓喜童子 道元 山尾三省—-解題する
長屋のり子
プロデュースをされた長屋のり子さんのお赦しをいただきましたので、
後書きを引用させていただきます。
山尾三省 仏道をならふといふは ーー道元ーーー
山尾三省さんは1938年、東京神田で生まれました。
早稲田大学に在学中より、さまざまな活動をされ、対抗文化コミューン運動、インド・ネパールの聖地巡礼、無農薬野菜の販売を経て、1977年に家族と共に屋久島に移住され、晴耕雨読の日々の中で詩作、祈る暮らしを続けられ、2001年に逝去されました。
詩人の長屋のり子さんは三省さんのたったひとりの妹さんです。
私は治海を通して、のり子さんと運命的な出会いをして
ずっと親しくさせていただいています。
道元禅師の生涯
ここで少し、道元禅師を紹介します。
鎌倉時代(1200年)に京都の名門公卿の家に生まれ、
幼名は信子丸でした。
8歳の冬に母を亡くし、世の無常を感じ、12歳の春には出家し、
仏法坊道元と名乗り、比叡山で修行を始めます。
仏道を求め、修行に励んでいましたが、
ある時、「宋の国に渡り、お釈迦様の坐禅を正しく伝える禅の教えを求めたらどうか」という助言を受け、宋に渡りました。
そこで、早々に船着場ではじめて会った老僧に
「おまえはまだ修行や経の文字とは何かわかっていない」と言われます。
そこで、
「修行とは何か。経の文字とは何か」について考えていきます。
そして、理解します。
「修行とは目の前にある生活そのもの」
「経分とはただの文字だが、行ずれば仏だ」と。
元々悟りを備えていても、修行しなければ悟りは現れず、
修行と悟りは切り離せない、同時にしかあり得ないものなのです。
宋の国の寺を回るうちに道元はついに正師となる
如浄(にょじょう)禅師と出会い、修行を深め、
ついに仏法を受け継ぐことを許されました。
そして悟りの上にも不断の修行を続けました。
帰国すると、それまでの坐禅のやり方や作法を、
お釈迦様直々の正しい方法の変えていき、
「正法眼蔵(ショウホウゲンゾウ)「典座教訓」などを残します。
43歳の頃、俗弟子であった波多野重公の招きにより越前に地の赴き、
翌年、「大仏寺」を開きます。これが永平寺となります。
如浄禅師の教えに従い、正しい仏の教えを伝え、
行うものを育てました。
永平寺を開いた約10年後、
病の倒れた道元は京都の俗弟子の館で治療を受けますが、
53歳でなくなりました。
かのジョブスにも大きな影響を与えた禅。
道元禅師は今のマインドフルネスの元祖ですね。
墨絵師 治海
出会いは50年前の夏でした。
鮮烈な個性の持ち主であった治海は私の二つ年上で、
以来、ずっと私の前をひたひたと歩いています。
好きな作家は坂口安吾、とりわけ『夜長姫と耳男』がお気に入り。
行った国は、エジプト、ギリシア、ケニア、
ニューカレドニア、セーシェル他。
興味の対象も違えば、
音楽も、文学も私とは全くと言っていいほど、
趣味が違います。
でも、不思議に「馬が合う」ので、
50年も交友が続いているのだと思います。
一遍上人から始まった私の旅も、
これで終わりなのかと思いきや、
否、ここから始まるのです。
鈴が鳴ったのですから。
鈴の音色に導かれ、私はどこに行くのかしら。
時空を超えて歓喜童子の
鳴らす鈴を
静かに山尾三省が聴く
道元が聴く
山尾三省、夢見つつ深く
道元を大地に植える
「自覚の」の開花、謳歌
あなたにもきっと鈴の音が聞こえます。
そうしたら・・何かはじめてください。
鈴なり・・・皆で鈴を鳴らしながら
一緒に歩んでいきたいですね。
鈴なり。
鈴なり。。
鈴なり。。。
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