📖 神よ 憐れみたまえ
27日土曜日、近所の東横フラワー緑道フェスに古本市がたちました。
早速本を見にいきました。
児童書、実用書が並ぶ中、
「神よ、憐れみたまえ」(小池真理子著・新潮社)が
目に飛び込んできました。
読みたかった一冊でした・・・
早速持ち帰り、読みました。
あらすじ
喪失と創作 小池真理子氏 インタビュー/対談/エッセイ
小池真理子さんが書き下ろしの小説を書いた理由(わけ)や、
校了した時の思いなどが書いてあります。
深いですよ。
鶴見事故
「もはや戦後ではない」という言葉がしめす通り
戦争のことを意識から外し、
右肩上がりの高度成長期に入った時代のことです。
1951年生まれのヒロイン百々子とわたしは5才違い。
同じ空気感の中で成長しました。
その夜、7才のわたしは
生まれて初めて、
家に中に異様な雰囲気を感じていました。
東京 京橋にある父の経営する割烹料理店で
女将をしていた母は
いつも同じ時間に東京駅を発車する横須賀線を
利用していました。
横浜駅からの暗がり坂道は危険なので
祖父が毎晩、見通しの良い場所で
母を迎えていましたが、
その夜、いつもの時間に帰ってきませんでした。
今のように、情報がすぐ入手できる時代はなく、
ニュース速報でようやく祖父母は事故を知りました。
わたしは一度寝ていたのですが、
ただならぬ気配で目を覚ましました。
当時、神奈川県警に勤めていた祖父は
電話でどこかに問い合わせていましたが、
横浜駅にいくといって出かけていきました。
雨が降っていて、肌寒い夜でした。
わたしは怖くなって、
布団にくるまっていました。
「ママ、ママ」
何がなんだかわからない、
漠然とした恐怖を生まれて初めて感じました。
10日は弟の4才の誕生日。
フランセのケーキを食べようねと
言って店に出かけた母。
時間はノロノロと進んでいきました。
わたしはうつらうつらしていた時、
ドアが開く音が家中に響きました。
「ただいま、帰ってきたよ」
玄関に立つ母を見た時、
わたしはすぐに動けませんでした。
「よかった・・・ママが帰ってきた・・・」
横須賀線に車両に乗ったものの、
一等車が満席。
あまりに疲れていた母は
次の電車まで待とうと決めると、
その車両から降りて
ホームのベンチに座って待ったのです。
母の乗った次の電車は
事故を回避して緊急停車。
乗客は全員車両から降りて、
徒歩で帰ってきました。
多摩川を渡っていたのか、いないのか
小雨の中を歩いて帰ってきた母は疲れ切っていました。
ママが帰ってきてよかったと思う反面
多くの失われた命があることを思うと、
なんともやるせない気持ちになりました。
この日、九州三井三池炭鉱では
死者458人を出した大爆発事故もありました。
同じ月の
11月22日にはアメリカ大統領、
ジョン・F・ケネディが暗殺され、
7才の子供ながら、
なぜ?なぜ?という思いと、
世の中の
理不尽さを感じていました。
事故で生き残ったと思った母は
9年後の1972年11月26日に
くも膜下出血で世を去りました。
小説の百々子の人生を追いながら
あの時代の自分に邂逅していたように
思います。
人生は生きるに価値がある
「わたしの人生は過酷だ」とずっと思っていました。
もしかしたら、誰もが「わたしの人生は過酷だ」と
思っているかもしれません。
「わたしの人生は楽だな」と思っていたら、
拍手です。
「過酷だけど、人生は生きるに価値がある」
と思える小説が好きです。
これでもかと思える事件に翻弄されながらも
でも一つずつ乗り越えて
自分の人生を切り開き
やっと穏やかな幸せな時間を持てた百々子に
最後に忍びよる影。
終章を読み終えた時、
これまでの自分の人生を重ねて、
人生の幸福とはなんだろうか・・・と
問いかけました。
人生の幸福とは・・・?
何度も問いかけた少女時代からの問いに
今まだ答えを得ていません。
でもこれかも・・・という何かは
掴めてきたような気もします。
小説の中に出てくる曲を聴きながら
インスパイアされて、
読書するのも良いと思い、
YouTubeから動画をアップしました。
チャイコフスキー〈弦楽セレナード〉
ヨハン・S・バッハ マタイ受難曲NO39 憐れみたまえ、我が神よ
チャイコフスキー『四季』6月「舟唄」
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